愛媛県、松山市、水月焼(すいげつやき)の、椿之図湯呑です。
「水月」の陶印
大きさは、高さ6,5cm×口径8cm×底面径3,5cmほどの、煎茶湯呑みということですが、私は、この大きさですので、ぐい呑み
として使いたいと思っています。
水月焼と言えば、「蟹 」をモチーフにしたものが多いですよね。
代表的な水月焼 (2代作)
私も、「蟹」模様のものが欲しかったのですが、お値段が・・・・・・
とは言え、私のぐい呑みも、中々の力作だと思います。お品は、時代を感じさせますので、恐らく、初代好川恒方のものだと思います。
水月焼の創始者、好川恒方は、明治16年5月6日、伊予松山の通町、狩野派の画家好川馬骨(号)の長男として出生、幼少より画道に精進していましたが、陶芸にも深い愛着を持っていました。二十才の頃、松山の西郊衣山に良質の陶土を発見し、「絵を立体的に表現したい」と本格的に庭へ窯を造り、趣味の窯、水月焼を創始しました。当時、公開されなかった釉薬の秘密を独自の力で研究し、あらゆる辛酸をなめつつ独特の色を焼きつけるのに長の年月を要しました。
然して、水月焼の生き生きとしたカニを発表したのは、大正10年頃のこと、庭内にハサミと甲羅の赤い天神蟹(アタテガニ)を飼って生態観察研究の後、この作品を完成したのです。
また、常々彫塑の研究に情熱をたぎらせた結果、さらに観音、不動、羅漢などの仏像、寒山拾得、ガマ仙人などの人物をはじめ、動植物など種々の対象と取組み、その卓越した技法と芸域は数多くの名陶を生むに至りました。
殊に、壷や渇呑に見る山水には、樹木、谷川、そま道を深く彫り込み、深山幽谷を偲ばせる作品は「全く他の追随を許さぬものがある」″水月焼″それは、「絵と彫刻と焼物の三位一体のもの
」であると云うことができるでしょう。
今日まで師事することなく、感覚のままに土を練り、形態を作り、色彩を出して独創の境地を進んで来たのです。故に、その作品には独特の香気と味わいがあり、人の心を魅了するものがあるのは、当然のことと思われます。
明治、大正、昭和の三代に亙り、七十有余年、只ひたすら斯道に精進し、昭和53年8月16日、95才と3ヶ月の天寿を全うしました。
初代好川恒方氏
恒方
亡き後、恒方の唯一の弟子として、又、晩年の伴侶として、十年間恒方と起居を共にしつつ、手をとって朝に夕に教え込まれた恒悦が、二代を継承しました。一つひとつ真心こめて丹念に良いものをつくるという、初代恒方の意志、ゆき方を尊重しつつ懸命に水月焼と取組んで作品を造ってきましたが、老齢により、窯は閉窯しました。(現在は、展示、販売だけされているそうです。)
ということですから、もう、水月焼の新作は、今後、この世に出ることはなくなっていますので、貴重なものですよね。
私のぐい呑みは、「カニ」ではないものの、水月焼の貴重なお品として、大切にしたいと思っています。
(2010年6月12日) | |