旅するところ、焼き物・骨董あり!                                                                       <<<焼き物・骨董情報サイト>>>

トップへ  当サイトでは、筆者が、世界中を旅したところで集めた焼き物・骨董品を、
エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

白石焼・百十窯の水滴

白石焼(しらいしやき)・百十窯8代井樋正弘作の水滴です。







 

昭和初期に、白石焼の窯場を訪れた、民芸活動の提唱者の柳宋悦が、飴色の鉄釉に、白い藁灰釉の掛かった土鍋や、行平などの日常の器に、民芸の美を見出したとされていますから、この水滴も、その手法で作られた代表的な白石焼 だと思います。

大きさは、高さ6cm、径4cm程で、共箱、栞付きです。

陶祖、藤崎百十から受け継いだ伝統を守り続けている百十窯(ひゃくじゅうかま)は、、現在は、昭和29年、この地に生まれた、8代当主井樋正弘氏が、継承しており、「飛鉋(とびかんな)」、「掻き落し(かきおとし)」、「焼締(やきしめ)」などの技法により作陶を続けています。

 8代当主井樋正弘

白石焼は、佐賀県の東部にあり、福岡県に隣接するみやき町(旧北茂安町)皿山周辺で焼成されるやきものです。「西目の皿山」の有田に対して、白石は「東目の皿山」と称されるほど、豊かな伝統をもつ、やきものです。

古くから北茂安町のある杵島一帯は、須恵器、瓦などが焼かれていましたが、白石焼としては宝暦年間に、枡谷金右衛門が、深掘丹作の奨めで根を下ろし、この地で作陶を始めたのが始まりであるとされています。

1806年に、白石鍋島家が本藩御用窯の伊万里市大川内山から、陶工・藤崎百十を密かに呼び寄せ、当地で御用窯を行わせたことで発展してきました。天草陶石に、この土地一帯にある「五穀さん」という白い砂まじりの砂土を混入させて、白磁に似た白ひび焼を作り上げました。 

江戸時代末期になって、京都五条の名陶工・臼井走波を招き、野菊・ザクロ・蘭などの花鳥風月を中心に絵付し、京風の走波焼を作り上げ、現在の白石焼の基礎を作ります。 

明治維新後に御用窯が廃止されると、磁器から陶器中心の製造へと転換し、昭和初期になると、日常生活用品を手掛けるようになり、現在では、7,8軒の窯元が、親しみのある民芸陶器を作陶し、人気を集めています。 

 白石焼の窯元

白石焼は、百十窯や、瀧水窯(りゅうすいがま)のような伝統を継承する窯がある一方で、小石原や有田、嬉野などさまざまな場所で修行を積んで、その地方の作風が反映されている窯元もあり、多彩な表情の器に出会えることも、特徴の1つです。
                                               (記 : 2010年7月8日)

Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行  All Rights Reserved 
















inserted by FC2 system