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白幡鳳悦作・志戸呂焼のフタ置

白幡鳳悦(しらはた ほうえつ)作・志戸呂焼(しとろやき)のフタ置です。









大きさは、口径5cm 高さ5.5cmほどの蓋置で、共箱、栞付きです。

白幡鳳悦氏は、今年81歳を迎える、静岡県島田市金谷の陶工のひとりで、幼くしてこの道に入り、以来70年近くを志戸呂焼一筋に精進してこられました。工芸作家というよりは、むしろ「伝統に根ざした技術の伝承者」として、かたくなに制作を続けている方です。

志戸呂焼は、この土地特有の“堅い”志戸呂の土を使い、志戸呂=金谷周辺=お茶の町=茶つぼ、茶碗、茶道具類が創られ愛用されており、どうしても、茶道具の製作が多いようですね。

 白幡鳳悦さん

志戸呂焼(しとろやき)は、静岡県島田市金谷(旧金谷町)で焼かれる陶器で、足利時代(1500年代)に美濃の陶工が、志戸呂郷(旧金谷町五和村地内)に窯を築いたのが始まりであるといわれます。

その後、徳川時代の初期に、尾張瀬戸の陶師が会心の陶土を求めて現在の地に創業し、天正16年(1588)に徳川家康から焼物商売免許の朱印状を授けられてより、広く知られるようになりました。

特に茶人大名として名高い小堀遠州が、この窯の雅味を賞し、全国からすぐれた窯を七つ選んだという、いわゆる「遠州七窯」の一つにこの「志戸呂窯」を数えたことから一躍天下にその名を知られるようになりました。

この志戸呂窯から出る茶壷は、「祖母壊」の銘があり、代々将軍家に献上され、また地元掛川藩はこの窯に対して格別の配慮を加えたと記録に残されています。

製品は、抹茶およびせん茶用茶器を主としており、器の地色は淡赤色、上ぐすりは淡黄色に黒色をまぶしたもので、いずれも古代色豊かなものであります。

現在、数名の陶芸家が志戸呂焼の伝統工芸を受け継ぎ、活性化すべく作陶活動を続けています。



現在、上記のような窯で、志戸呂焼が継承されています。
                                              (記 : 2010年7月16日) 

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