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天草陶磁器(あまくさとうじき)の水の平焼(みずのだいらやき)、六代目岡部久万策(くまさく)作・海鼠釉・花瓶です。 天草陶磁器というと、日本の磁土の80%以上を産出する磁陶石の産地です。有田焼や、三川内焼、波佐見焼、九谷焼といった磁器の産地も、今では、その多くを、天草陶石で賄っています。 一般的には、その磁土を使った磁器の生産が多いところですが、水の平焼は、磁器ではなく、陶器を作っており、五代目の岡部源四郎が開発した、独特の赤海鼠釉が有名で、この花瓶も、その海鼠釉の作品で、大変、珍しいと思い、購入しました。 大きさは、高さ約18.6cm 径約10.4p 、口径約4.7p程で、共箱、共布、栞付きです。 水の平焼(みずのだいらやき)は、江戸末期、山仁田窯(やまにたがま)を受け継いで、明和2年(1765年)岡部常兵衛(おかべじょうべえ)により創業、地名に則り「水の平焼」と命名されました。 二代目伊三郎(いさぶろう)をへて、三代目弥四郎(やしろう)は内国勧業博覧会に出品・受賞し水の平焼の名を全国に高めました。 4代目富次郎は、巧みな彫刻で知られ、五代目源四郎(げんしろう)は、釉薬の研究をし、独特の「赤海鼠(なまこ)色」を完成させ、これが一大特色となりました。六代目久万策(くまさく)、当代の七代目信行と、そのご子息の祐一さんへと作陶が、受け継がれています。 水の平焼の特徴は、五代目源四朗が作り出した独特の”なまこ釉”です。水の平焼のなまこ釉は、下釉に鉄釉を使い、ワラ灰等の上釉をかけて焼くと、上釉と下釉が溶け合って、独特の絵模様となります。 七代目 岡野信行さん ご子息の祐一さん 天草陶磁器(あまくさとうじき)は、熊本県天草地方で焼かれている陶磁器で、最も古い焼き物は、慶長年間(1596〜1615)頃の楠浦焼と言われ、豊臣秀吉による朝鮮出兵で連れ帰った朝鮮人に作らせたものが天草陶磁器の始まりと言われています。 優れた陶石が産出する天草では、1650年頃に内田皿山焼の磁器が焼かれており、延宝年間以降は、高浜焼等の窯元で磁器が焼かれていました。 近代以降は、明和2年(1765年)に天草郡本戸村水の平(現本渡市)で、水の平焼(みずのだいらやき)が創業を開始し、瀬戸磁器の始祖加藤民吉が、天草での修行を基に瀬戸磁器を創業します。 もともと天草は、天領であったため藩窯的なものはありませんでした。各村の庄屋たちが村民の自活のための磁器や陶器作りが根本にあり、そのため長い間、他の産地のように「ブランド」として表舞台に出ることは少なかったようです。 平成15年に、日本の伝統工芸品の認定を受け、現在11の窯元で、天草陶石を使用した透明感のある純白の磁器や、島内の陶土を用い、性質の異なる釉薬の二重掛けの技法を用いた赤海鼠の陶器など、個性的で多様・多彩な陶器が焼かれています。 内田皿山焼(うちださらやま)、高浜焼、水の平焼(みずのだいら)、丸尾焼の四つが、主な産地となっており、水の平焼と丸尾焼が、国の伝統的工芸品の指定を受けています。 一般的に、海鼠釉は、青色に発色することが多く、水の平焼でも、青色のものも見られます。しかし、この花瓶は、海鼠釉とは思えないほどの、複雑な色合いになっています。大変珍しいもので、中々の力作と思いますので、末永く、大切にしたいと思っています。 (記 : 2010年9月1日)
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