1997年に、インドネシアのマカッサル市の骨董店で入手した、タイのスワンカローク窯のセラドンの水滴(?)です。
骨董店の店主から、タイの骨董品だということは、聞いていたのですが、色々と話してくれても、こちらに知識がなかったので、チンプンカンプンでしたが、後で、色々調べると、どうやら、スワンカローク窯のセラドン焼であると思われます。
時代は、15世紀(1400年代)と思われ、セラドン焼の特徴である、翡翠色の釉薬がとてもきれいです。ただ、15世紀のものにしては、きれい過ぎる感はありますが、チェンマイのお土産で売っているセラドン焼とは、明らかに釉薬の深さが違うような気がします。
残念ながら、買った時には、無傷だったのですが、口にカケが出来てしまい、補修しています。欠けたものの断面から、半白磁土であることがわかり、スワンカロークの土では?と思っています。
大きさは、径10.5cm、高さ11cm程のもので、形状は、東南アジアでよくあるもので、かつて、バンコクで買った黒色土器にも似ていますが、口の内径が、5mm程しかないので、実際には、何なのか?は、不明なのですが、花入れにはなりそうもないので、水滴にしては大き過ぎるのですが、ここでは、水滴としています。
バンコクで買った黒色土器
タイでは、スコータイ時代の13世紀に、ラムカムヘン王が、中国より公式に陶工を招聘して、中国の陶磁器作りの技術が輸入されています。
それまでのタイの人々は、通常、大変シンプルな土器を使用しておりましたが、スコータイ時代に入って簡単な釉薬をかけたせっ器(ストーンウエア)を、製造出来るようになっていた程度でした。
そこに、中国の技術が入ってきたので、スコータイでは、一気に、焼き物の技術が向上しています。
そして少し時代が下って、14世紀に、スコータイより北方に75km行ったところのスワンカローク(古美術的に言うと初期の宋胡録焼の出土地域)で、高品質の陶磁器が作られるようになりました。中国陶磁の陶技や様式を受けて、鉄絵陶、青磁、褐釉(ゆう)陶、白釉陶、淡青釉陶などを焼きましたが、特に、この中で、セラドン(CELADON)と呼ばれる緑色の美しい釉薬をかけた陶磁器が珍重されていました。
同時期に、スンコロク(宋胡録)のような、鉄絵陶も作られています。(「スンコロクの香合」参照)
その後、アユタヤ王朝と、スコータイ王朝のタイ北中部の覇権争いが勃発した15世紀半、スコータイとスワンカロークの窯が、突如閉ざされてしまい、この時の戦いで、2つの都市近郊の窯が、完全に途絶えてしまいました。現在は、遺跡としてのみ、当時の窯跡を見る事が出来ます。
コ・ノーイ窯跡(シーサッチャナライ)
その結果、陶磁器の主流、つまり技術と職人達は、他の都市に流れていき、北方の色々な地方都市、カロン(チェンライ)・サムカムフェン(チェンマイ)等で、ここから陶磁器の近代工業化が始まりました。
現在は、タイ第2の都市チェンマイで、80年前に再興されて、セラドン焼として、大堀相馬焼のような貫入を売り物に、おみやげとして、売られています。
典型的なチェンマイ産セラドン焼
(記 : 2010年4月8日) |