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タイの陶磁器の話

タイで買った焼き物が少し集まりましたので、タイの陶磁器について、まとめてみたいと思います。

タイの陶磁器の歴史は、13世紀のスコータイ王朝が成立して、中国人陶工を招聘して、中国式の陶磁器が紹介される前と後に大きく分けることが出来ます。

現在のタイの3大陶磁器は、セラドン焼ベンジャロン焼ブルー&ホワイト(染付け)ですが、時代を追って、タイの陶磁器の歴史に触れてみたいと思います。

★ バンチェン土器 ★

1966年、タイ北西部のラオス国境に近い、ウドーンターニー市から、東へ約50kmほどのところに、紀元前2500年から2000年にさかのぼる、先史時代の貴重な遺跡が発見され、「バンチェン遺跡」と名付けられました。

その遺跡で、紀元前2200年頃早期の刻線黒色土器から、紀元後2世紀頃までの2500年の間に製作された、ベンガラで渦文や螺旋文をめぐらした彩色土器等が発見され、それらは、バンチェン土器と呼ばれています。(「バンコクで買った黒色土器」参照)

この古代文明は、謎に包まれていますが、タイにおいて、日本の縄文時代から、同様の土器が作られていたことが、証明されています。


                        バンチェン遺跡の出土品 (出典:タイ観光庁HP)

このバンチェン(Ban Chiang)遺跡は、「消滅した文明の、唯一の証拠となるもの」として、1992年に世界遺産にも認定されています。

★ 黒彩土器 ★

その後の、タイの陶磁器は、9世紀から15世紀まで存在し、カンボジアにあったクメール王朝(アンコール王朝)時代のクメール陶器の影響を受けた黒彩釉陶を作っていました。

私が、バンコクで買った黒色土器が、それに当たるものだと思われ、バンコクの骨董屋の話では、アンコールワットからの出土品だと言っていましたが、もしかすると、タイで作られたものかもしれませんね。(「バンコクで買った黒色土器」参照)

 黒彩釉陶?

★ スワンカローク焼 ★

13世紀にスコータイ王朝が誕生し、中国からの陶工を招聘することにより、王都のスコータイと、副都のシーサッチャナーライで中国の影響を強く受けたやきものが作られるようになりました。

近郊のパーヤン村、ツカータ村、バンコーノイ村に窯は築かれましたが、陶器の積み出し港であったスワンカローク(Swankhalok)の名前を取って、スワンカローク焼(サンカローク焼)と呼びます。日本では、タイの陶磁器のことを、宋胡録焼(スンコロク焼)と総称している場合もありますが、正しくは、タイ陶磁器の中でも、この時代のものだけということになります。(「スワンカローク焼の合子」参照)

鉄絵陶、青磁、褐釉(ゆう)陶、白釉陶、淡青釉陶などが焼かれましたが、最も一般的なものは、鉄絵陶で、当初は、中国の影響を受けたデザインが多かったようですが、少しずつ、タイ風のデザインに変化しています。また、淡青釉陶は、翡翠色が素晴らしく、スワンカローク焼なのですが、セラドン焼(Celadon)として、扱われています。(「セラドン焼の水滴?」参照)

同時期の、安土桃山時代〜江戸初期には、タイ、ベトナム、景徳鎮から、多くの陶磁器が日本へ入っており、タイからのものは、「宋胡録(すんころく)」として、茶人に珍重され、伝世しているものも多くあります。(「宋胡録の豆香合」参照)

ベトナムからのものは、安南焼(あんなんやき)と呼ばれ、今でも、安南写しが日本で作られているほど、日本に浸透しています。(「ホーチミンで安南焼をゲット!」参照)

スワンカローク焼は、17世紀には、消滅していますが、これは、ミャンマーによって王朝が、潰されたからだという説もあります。

尚、セラドン焼は、タイ第2の都市、チェンマイで再興されて、タイの雑貨として、大変人気があり、日本へも輸出されています。また、スワンカローク近郊でも、小規模なセラドン焼の窯があるようです。

スワンカローク焼 鉄絵陶

★ ベンジャロン焼 ★

1351年に、ウートン王によって、スコータイ王朝からアユタヤ王朝へと変わり、16世紀末から17世紀前半頃には、中国から白い磁器に、多色の上絵具を焼き付ける技法が伝えられ、これが「ベンジャロン焼」の基礎になっています。

当初は、ベンジャロン (”5色”という意味)ということで、中国の五彩色絵と同じ技法でしたので、5色に限らず、4色、3色等のものもあったようです。

200年ほど前の、ラマ2世の時代には、タイ語で、「金の水の紋様」という意味の「ラーイ・ナム・トーン」という、金彩で縁取りが施されるようになり、所謂、金襴手として、王室専用の磁器として作られるようになったことから、タイでは、高級食器というイメージが出来ました。

その後、貴族や、商人にも浸透するようになりましたが、今では、手描きだけのものではなく、プリント転写の大量生産品もありますので、注意が必要です。

ベンジャロン焼は、基本的に、上絵付け専門ですので、現在では、外国製の高級なボーンチャイナや、白磁に絵付けをしているものもあるようで、これらは、ベンジャロン焼の高級品として、人気があるようです。

ドイツ・マイセンのタイ版といったところでしょうか?

見分け方としては、上絵を付けるために、何度も焼くので、実は、いいものは、何回も焼かれているので、どうしても、地肌がくすんでしまいます。素地がきれいなものは、安物?ということかも?(笑)

タイを訪れると、お土産品として、売っていますので、記念に買うのもいいかもしれませんね。

 ベンジャロン焼

★ セラドン焼 ★

2度目の登場になりますが、現在作られているセラドン焼は、スワンカローク焼のセラドン焼とは、違っていますので、別途、取り上げることにしました。

現在の、タイの3大陶磁器の中の、セラドン(Celadon)焼は、現代のセラドン焼のことを指しています。

現在のセラドン焼は、80年ほど前に、タイ、第2の都市、チェンマイで再興されたもので、青磁っぽい淡翠色の釉に、大堀相馬焼のような「貫入(カンニュウ)」が入っているのが特徴で、大量生産していますので、お値段もお手頃で、日本でも人気の商品となっています。

電気炉で焼かれて、完全に冷えない時点で、窯から出しますので、その際に、「ピリン、ピリン」と音を立てて、貫入が入ります。青磁には、自然に入る貫入がよく見られますが、セラドン焼は、その応用編なのでしょうね。尚、貫入とは、釉薬だけに入るヒビのことですので、水が漏れることはありません。

また、日本では、本来、上記のような陶器だけをセラドン焼というのですが、誤って、すべてのタイの陶磁器をセラドン焼と言っている販売店もあるようですので、ご注意を!





上のセラドン焼の小皿は、2013年6月4日にタイのバンコク空港で買ったもので、大きさは、径:9cm、高さ:2cmほどのもので、ガラス質の釉薬に貫入が入って、典型的な現代セラドン焼です。空港は、お値段が高いのですが、それでも、400円ほどで買えました。タイのお土産に、ベンジャロン焼と共に、人気の商品のようです。

★ ブルー&ホワイト ★

西日本では、有田焼(波佐見焼)の食器が、庶民の食器でしたが、タイにおいても、「ブルー&ホワイト」と呼ばれる染付けの焼き物が、庶民の食器になっています。

元々は、ベンジャロン焼と同様に、中国からの技術で、中国で、青花(せいか)と呼んでいる染付けの技法を使った焼き物です。

その文様は、当初は、中国の文様を模倣していましたが、次第に、タイ風のものへと変化して、最も有名な、「パイナップル文様」など、多くのデザインに発展しています。


               「パイナップル文様」の食器

現在は、タイ、第2の都市、チェンマイで、多くのものが作られており、日本からの特注品等も扱っているそうです。

いつの時代においても、農耕文化の東洋では、壺、甕や碗は必要でした。各地で工夫されて焼き物が発達しましたが、発達の度合いは、やはり、その時代の、その国の力にも影響があるようです。タイは、絶対君主制から立憲君主制になっていますが、戦後も数少ない王国として存在していて、独自の文化を持っています。

そういった土壌であるから、こういった焼き物も続いているのではないか?と思えてきます。
                                                (記 : 2013年3月30日)

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