中村宗哲(なかむらそうてつ)作・扇面蒔絵 中棗(なつめ)です。
銘 「哲」
箱書きの筆跡等から、恐らく、12代中村宗哲
の作品と思われます。
大きさは、径6,7cm 高さ6,9cmで、共布、共箱付きです。状態も大変良いのですが、蓋裏に、花押(かおう)がないのが、ちょっと残念ですね。
これまで持っていた棗と比較すると、数段に軽くて、びっくりでした。薄作りになっています。これぞ、京漆器の神髄ということでしょうか?
英語で、japanは、漆器のことで、漆器は、日本を代表する、木や紙に、漆(うるし)を塗り重ねて作る工芸品です。輪島塗、山中塗、津軽塗、京漆器等、全国各地で、作られていますが、現在では、国内産の漆はほとんどなく、大半を中国から輸入しています。
漆芸の技法としては、蒔絵(まきえ)、沈金(ちんきん)、螺鈿(らでん)、等々があります。
蒔絵 沈金 螺鈿
その中で、この棗(なつめ)は、蒔絵の技法で、扇面を描いており、飽きの来ない、四季のいずれにも使用できる棗となっています。
★ 棗(なつめ)とは ★
棗(なつめ)は、茶器の一種で、抹茶を入れるのに用いる木製漆塗りの蓋物容器ですが、植物の棗の実に形が似ていることから、その名が付いたとされています。
現在では、濃茶を入れる陶器製の茶入れ(濃茶器)に対して、薄茶を入れる塗物の器を、薄茶器(薄器)と呼びますが、棗が、この薄茶器の総称として用いられてしまう場合も多いようです。
★ 中村宗哲とは ★
作者の中村宗哲(なかむら・そうてつ)は、千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(塗師(ぬし))です。
中村家の家祖は、豊臣秀吉の重臣中村式部少輔の臣で京都武者小路に隠栖していました。その隣家が、千宗旦の二男甚右衛門(一翁宗守)が養子に入った塗師吉文字屋でした。一翁宗守が千姓に復姓の際、隣家の中村八兵衛に娘を嫁がせると同時に、吉岡家の家業である塗師の技も併せて継承させ、これが初代宗哲となりました。
以降、400年に渡り、千家十職の塗師として継承し、明治時代以降は、「型物塗師」といわれる茶道具の塗師専業となっています。
12代中村宗哲は、伝統を踏まえた上で、新しい漆の器の世界を現代の暮らしに提案されるため、三人のお嬢さんと協同で作品をつくる「哲公房
」を主宰されましたが、お三人は今もそれを受け継いでおられます。
現在は、12代が、2005年に逝去の後、2006年に次女の公美さんが13代中村宗哲を襲名しています。
■ 作家 プロフィール ■
12代 中村宗哲(ナカムラソウテツ)
1932年、京都に生まれる。千家十職・塗師十一代中村宗哲の長女。
本名は、中村弘子。
1955年、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)卒。
日展、朝日新人展、各種グループ展出品。塗師宗哲後嗣として伝承資料、技術、意匠の研修に従事。
1986年、十二代宗哲を襲名。千家職家として家元へ出仕。女性として初めて正式に千家十職当主として認められた人物となる。
「哲公房」主宰。
1993年、京都府文化功労賞受賞。
2000年、京都市文化功労者表彰。
2005年 11月逝去。
13代 中村宗哲(ナカムラソウテツ)
1965年、京都に生まれる。千家十職・塗師十二代中村宗哲の次女。
本名は、中村公美。
京都市立銅駝美術工芸高等学校漆芸科卒。
2006年初出仕。同時に十三代目を襲名。
★ 千家十職とは ★
千家十職(せんけじっそく)とは、茶道に関わり三千家に出入りする塗り師・指物師など
十の職家(しょっけ)を表す尊称であり、明治時代中期頃から、千家十職と称されるようになりました。
塗師・・・・・・各種なつめ、盆、香合、長板、棚物など 中村宗哲
表具師・・・・・軸物、風呂先、ふすま、屏風など 奥村吉兵衛
陶磁器師・・・・永楽茶碗、水指、皆具、花入その他陶器 永楽善五郎
金物師・・・・・皆具、火箸、鉄瓶、火入、灰さじなど 中川浄益
釜師・・・・・・釜、五徳、鉄瓶など 大西清右衛門
竹細工柄杓師・・茶杓、花入、建水、柄杓など 黒田正玄
袋師・・・・・・茶碗、なつめ、茶杓などの各種袋物ならびに袋裂 土田友湖
楽焼・・・・・・楽焼茶碗、水指、香合、蓋置、花入など陶器 楽吉左衛門
一閑張り細工師・なつめ、長板、盆、炭とり、香合など 飛来一閑
指物師・・・・・棚物、香合、曲げ物、炉縁、茶箱、箱物など 駒沢利斎
(記 : 2011年6月9日) |