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輪島塗りの湯桶(ゆとう)

輪島塗りの黒漆湯桶(ゆとう)です。











懐石膳の湯桶(ゆとう)で、大きさは、高さ:12cm、径:14cmです。「能州輪島 極上本堅地 大工 治太郎」とありますが、詳しいことは、わかりません。

実は、呑んべいの私は、酒注ぎでもいいかな?と思い、購入しましたが、届いたものは、想像していたものよりは、大きくて、ちょっと酒注ぎには無理の様子です。(笑)

湯桶(ゆとう)は、日本の伝統的な食器の一つで、多くは、木製漆塗(あるいはその模造)で、注ぎ口と柄のあるものです。

近代以前には、湯や酒を注ぐための容器として、至極一般的な物でしたが、現代(第二次世界大戦以降)では、特殊な場合を除いて、ほとんど使われることのない道具となっています。

しかし、今でも、懐石料理で、最後に一口残しておいた飯椀のご飯を、香の物で湯漬けにしますが、この時、 こがし湯を入れて持ち出すのに、湯桶が使われているほか、蕎麦屋では、蕎麦湯を入れるのに用いられています。

蕎麦屋で、いつ頃から、湯桶に入れた蕎麦湯を出すようになったのか?は、はっきりとはわかっていませんが、現在のように、蕎麦を麺にして食べるようになったのは、江戸初期で、信州又は、甲州で始まったとされており、江戸中期までは、江戸では、蕎麦湯を飲む習慣はなかったようです。信州では、食後のお茶の代わりに蕎麦湯を飲んでいたようですので、甲州街道を経て、やがて、江戸にも蕎麦湯を飲む習慣が広まったと考えられています。

しかし、江戸時代の風俗、事物を説明した一種の類書(百科事典)である「守貞謾稿」に描かれてる、蕎麦屋の様子の詳細には、湯桶が描かれていませんので、湯桶が使われるようになったのは、恐らく、明治に入ってからなのでは?と思われます。

型としては、本体が正角柱の角湯桶(かくゆとう)と、円筒形の丸湯桶(まるゆとう)があります。伝統的な品は、木製漆塗仕上げですが、近年では合成漆器製品も出回っています。

角湯桶が、登場したのは明治になってからといわれていますが、この角湯桶は、下の画像のように、口が正面についてなく、横のほうに突き出た格好になっていて、その形状から、「人が話しをしている最中に口出しすること」を、「蕎麦屋の湯桶」と呼ぶようになったと言われています。この語源からも、蕎麦屋で湯桶が使われるようになったのは、明治に入ってからではないでしょうか?(江戸時代から、湯桶が使われていたとする方もおられるようです。)

 角湯桶

湯桶に似たものに、水注(水次)があります。

水注(みずつぎ)は、「水次」とも書き、茶席の席中に置かれた釜や、水指に、水を補給する道具です。材質は、陶器、金属、木製の曲げ物などで、片口、薬缶の類に分類されます。


      陶器製(赤絵)              金属製(銅製)            木製(春慶塗)

木製漆器のものは、湯桶とほぼ同じ形状ですし、どっちが、湯桶で、どっちが水注?と、しっかりとした判別ができない感じはしますね。恐らく、厳密な違いはないのだと思いますが、水注の小さなもので、漆器のものを湯桶として使っているのでは?と思います。

尚、茶道において、湯桶(ゆおけ)は、右の写真のような桶で、寒中に手水に替えて湯を使うために、蹲踞の湯桶石の上に置く、湯を入れておくための桶ですので、お間違いなく!






                                                (記 : 2012年11月7日)

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