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エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
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屈輪(具利)彫りの香合

屈輪(具利)彫り(ぐりぼり)の犀皮(さいひ)香合です。















大きさは、径:7.4cm、高さ:2.5cmで、彫った色漆の層が美しい香合で、器体は、銅が使われています。

恐らく、唐物(からもの)(中国製)だと思われ、明〜清時代に輸入されて、茶道具として大切に扱われて、伝世したものと思われます。

★ 屈輪(具利)(ぐり)とは? ★

彫漆(ちょうしつ)(漆を彫る技術)の一種に、犀皮(さいひ)とよばれる、塗り重ねる漆の色を層ごとに変えて、文様を斜めに彫り出し、幻惑的な色層が現われす手法があります。中国で、宋時代を中心に行なわれていました。

また、その頃、唐草文様のデザイン化が進んで、わらび形、ハート形や渦巻きのような、抽象的な文様が現われました。それらの文様を、日本では、唐草文蕨手文と呼びました。

屈輪(ぐり)」又は、「呉利(ごり)」とは、この雲文様風の曲線文様のことで、日本へは、それら、「唐物」とよばれる工芸品が、室町時代頃より輸入され、茶道具として珍重されていた様子が、当時の茶会記から読み取れます。我国では、禅僧寺院を中心にして、建築や工芸の意匠にも用いられました。

本来は、「屈輪」は、文様のことで、室町時代の将軍家が編纂させたとされる、「君台観左右帳記」(くんだいかん・そうちょうき)に、「くりくり」とあるものです。彫漆によって作られた工芸品の渦巻き文様を、「くりくり」と呼び、その後、その文様のある工芸品自体を、「ぐり」と呼ぶようになったのは、その語感からきたものと考えられています。

現在では、犀皮に関わらず、堆朱・堆黒のような彫漆の技法を使って、唐草文蕨手文(わらびでもん)などの文様を彫り下げたものを、一般的に、「屈輪具利)」(ぐり)と呼んでいるようです。

下のぐい呑みは、堆漆(ついちょう)(器体はなく、漆のみで作られたもの)で作られているものですが、最初に、この屈輪文の断面を見て、びっくりしたものです。残念ながら、競り落とすことは出来ませんでしたが、その後、どうしたら、こんな文様になるのか?を調べていて、「犀皮」という技法を知りました。



 断層の漆の色層が幻想的

オークションなどでは、最終仕上げで塗った漆の色で、「屈輪紋堆○○」、「屈輪紋堆○○」と表現されることが多いようですが、本来は、「屈輪紋犀皮○○」が正しいと思われます。

★ 彫漆(ちょうしつ)とは? ★

彫漆(ちょうしつ)とは、器物に漆を塗り重ねて厚い層を作り、これに文様を彫刻して、漆の断層を美しくみせる方法で、器物の表面が、朱の彫漆器をひろく堆朱(ついしゅ)、黒漆を塗り重ねて彫った物を堆黒(ついこく)、黄漆(きうるし)のものを堆黄(ついこう)、朱と緑のものを紅花緑葉(こうかりょくよう)といいます。

唐時代が起源と言われていますが、彫漆が盛行を見たのは宋からで、元、明、清と数々の作品を生んでいます。

禅宗の交流により、日本の寺院に僧侶の入宋、来宋のなか、宋、元の堆朱や堆黒が、他種の漆器や青磁と共に多くの物が伝来された様で、香合や盆類は、唐物の茶道具として大切に扱われ、寺院や宮中と共に今日まで多く伝世して来ました。また、明時代の商船貿易による物もかなり有ると思われます。

堆朱をはじめとする彫漆工芸は、日本には、応仁・文明の頃(1467年〜1486年)に、その技法が伝えられ、初代堆朱楊成が日本の堆朱工のはじまりとされています。また今日の鎌倉彫りの原型となったものです。

★ 君台観左右帳記」(くんだいかん・そうちょうき)とは? ★

室町時代に成立した、中国伝来の絵画、工芸品の鑑定評価と、それらを用いた座敷飾の構成について集大成した秘伝書で、能阿弥によって整備され、相阿弥によって完成されたと考えられています。

                                                (記 : 2013年5月23日)

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