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印傳屋上原勇七製作の、甲州印伝(こうしゅういんでん)の名刺入れです。 大きさは、縦:7cm、横:11cm、厚さ:1.5cmで、黒地の鹿革に、白い漆で青海波(セイカイハ)の模様が付けられており、印傳屋上原勇七の定番模様です。 「青海波」、「小桜」、「とんぼ」など、江戸時代から伝わる模様は、「江戸小紋」と呼ばれ、長い間親しまれています。 「秘密のケンミンショー」で、東 京一郎が、山梨県に赴任した際に、赴任先の職員が全員、印伝の品物を持っていて、びっくりする場面がありましたが、その山梨県甲府市の特産品です。 印伝は、鹿の革を使った革細工ですが、漆を付けて、模様にしているということで、漆工芸品として、購入しました。 ★ 印伝とは ★ 印伝(いんでん)または、印傳 は、専ら鹿革の加工製品を指す事が多く、印伝の足袋が正倉院宝庫内に収められていますし、印伝唯一の国宝も、東大寺(奈良)に残っており、奈良時代には、革を染める・模様を描くなど、いろいろな技法が考案され、また外国より伝搬されてきたと考えられています。 鹿革は、体になじみ、強度を備えていることから、武具にも盛んに使われており、戦国時代には、鎧や兜、馬具などに使われて、武将たちの勇士をを飾っていました。 江戸時代には、日本各地で製造されたものと思われますが、現在、その製法が伝わっているのは、甲州印伝のみとなっています。 印伝の名称の由来は、寛永年間(1624〜1643年)に、来航した外国人により、印度(インド) 装飾革が、幕府に献上された際に、印度伝来を略して、印伝となったと伝えられていますが、諸説があり、はっきりとはわかっていません。 現在、印伝の多くは、山梨県で作られていますが、奈良県では、奈良印伝が、40年ほど前に、再興されているようです。 ★ 甲州印伝とは ★ 甲州印伝(こうしゅういんでん)とは、山梨県甲府市を中心とする地域で作られている、鹿革の加工製品で、1987年に、「経済産業大臣指定伝統的工芸品」に認定されています。 甲州印伝は、江戸時代に、上原勇七(当時、現在は十三代)が、鹿革に漆付けする独自の技法を創案したのが始まりとされ、江戸時代末期には、甲府を中心に、産地形成がなされていたものと思われます。 明治期になると、信玄袋や巾着袋などが内国勧業博覧会において褒章を得るなど、山梨の特産品としての確固たる地位を築きました。 ★ 3つの技法 ★ 甲州印伝には、3つの技法 があります。 @ 漆付け 各色に染めた鹿革に、色々な模様の型紙を乗せて、漆を塗って、模様を付ける方法です。 印傳屋には、代々伝わる型紙が100種類以上あるそうで、新作のものも、どんどん加わっています。 A 「燻べ(ふすべ)」 「日本人は、藁の煙だけを用いて、巧みに着色する」と、信長に謁見したことでも知られる、宣教師ルイス・フロイスが、著書で驚嘆を記した印伝のルーツとされる技法です。 鹿革を、タイコ(筒)に貼り、藁を焚いていぶした後、松脂でいぶして自然な色に仕上げます。 B 更紗 名の由来は、印度伝来の更紗模様に似ていることからとされています。一色ごとに型紙を変えて、色を重ねていくことで、鮮やかな色彩の調和が生まれます。 江戸後期には、数軒あったといわれる甲州印伝細工所のうち、時の流れのなかで、印傳屋だけが唯一残りました。その理由は、「技」の継承を代々の家長「勇七」のみに口伝されたことによります。家伝の秘法は、現在では、印伝技法の普及のため、広く公開されています。 尚、甲州印伝の作成方法や、特徴は、YouTubeの、「ホンモノ物語 印伝屋」や、「手仕事にっぽんー甲州印伝」で見れますので、ご参照ください。 ★ 印傳屋上原勇七 ★ 印傳屋(いんでんや)は、天正10(1582)年の創業で、現存する甲州印伝業者として、安土桃山時代より現在まで、13代続く老舗メーカーで、シェア、歴史とも、最大・最古となっています。 江戸時代に入って、鹿革に漆付けする、独自の技法を創案され、家長「勇七」へのみに口伝で、伝承されました。 現在では、グッチとコラボの商品を作ったり、東京青山や、大阪心斎橋、名古屋御園に直営店を出すなど、伝統を継承しつつ、新しいものにも挑戦しています。 印傳屋青山店 尚、印傳屋では、お客様と長い付き合いをするため、安売りはせず、定価販売のみとなっていますので、安いものがあったら、バッタものかも?と疑ってくださいね。(笑) (記 : 2015年2月17日)
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