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飛騨春慶の中次

飛騨春慶(ひだ しゅんけい)の中次(なかつぎ)です。

飛騨春慶塗











大きさは、径:6.5cm、高さ:7.5cmほどで、共箱、共布、栞付きです。

中次(なかつぎ)とは、薄茶器の一種で、棗と同様の機能のものですが、円筒の寸切形のものです。中次という名前は、蓋と身の合わせ目(合口)が胴のほぼ中央にあることに由来しています。元々は、直径と高さが同一寸法とされていますが、実際は見た目が短くなるため、多少高さを増した形をしています。

中次は、本来は、内外とも全部真塗で単純な形のものでしたが、後には、塗も溜・朱・摺漆などができ、合いロの位置の移動や蓋の形状の変化も生まれました。

この中次は、円筒形の胴の中央部に合わせ目(合口)がある「真中次(しんなかつぎ)」というもので、本来の姿に近い形状と塗りをしています。

実は、この中次を見るまで、中次の存在すら知りませんでした。珍しいものを手に入れることが出来て、喜んでいます。

春慶塗(しゅんけいぬり)とは、「春慶漆(しゅんけいうるし)」と呼ばれる、透明度の高い上塗専用の透漆(すきうるし)を使って、塗立て(塗りっぱなしで仕上げたもので、研磨しない)たもののことです。

檜や欅の木目の美しい天然材で、素地を作り、これに「春慶漆」を塗り立てし、木目を美しくあらわしたもので、器肌に雌黄であらかじめ着色した上に、透明の春慶漆を塗り立てて作ります。

産地としては、堺春慶(大阪府堺市(発祥の地))、飛騨春慶(岐阜県高山市)、能代春慶(秋田県能代市)、粟野春慶(茨城県城里町(旧桂村))などが有名で、その他、各地で行われています。

飛騨春慶(ひだしゅんけい)は、岐阜県高山市で生産される漆器で、慶長十二年(1607年)、当時の高山城主重頼の長兄、金森重近公(号宗和)の時代、木匠高橋喜左エ門、塗師成田三右エ門によって、木目の自然美を生かして、透け漆を重ね塗りして、蛤形の盆が作られ、宗和公に献上されたのがはじまりとされています。

宗和公は、色調が茶器の名品の加藤景正の飛春慶(ひしゅんけい)に似ていることにあやかり、春慶塗と名付けられたと伝えられています。

板を立体的に仕上げる曲げの技法が優れていて、他の漆器とは違って、生地に透き漆(すきうるし)をかけ、心豊かな琥珀色に塗り上げ、天然の木目の美しさをそのまま生かしたのが特徴です。

材料は、飛騨の大自然が育てた(ヒノキ)・(サワラ)・(トチ)などの、木の香ただよう良材で、木目等を吟味し、その木材を木地師と呼ぶ職人が加工します。その後、塗師によって、黄あるいは紅染料を用いて色付けし、生漆塗り、そして、透き漆を塗って仕上げます。飛騨春慶塗は、木地師、塗師の二者一体の共同芸術ということになりますね。

現在も、企業数約50社、従事者数約200人で、伝統を守っており、1975年(昭和50年)に、国の伝統的工芸品に指定されています。

★ 飛騨春慶で使われている刷毛の秘密 ★

飛騨春慶で使われている刷毛には、「若い女性の髪の毛」が使われているそうです。下の画像の刷毛の黒い部分です。何故、「若い女性」という条件が付くのでしょうか?白髪ではダメなんでしょうね。(笑)

 塗りの作業

たまたま、見つけた飛騨春慶ですが、「中次」という珍しい茶器にも巡り合えて、うれしく思っています。これからも、大切にしたいと思っています。
                                                (記 : 2013年5月7日)

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