山中塗(やまなかぬり)と思われる、ちょっとユニークな宴遊盃(えんゆうはい)です。
大きさは、高さ:12cm、最大径:8.5cmで、共紙箱、共布付きです。共箱の感じから、昭和のものと思われます。
宴遊盃(えんゆうはい)というのは、少しずつ大きさの違う、漆の盃を、五つ重ねたものの中に、サイコロが入っている物です。そのサイコロには、松、竹、梅、鶴、亀が蒔絵で描かれ、盃の方にも同じ絵が書かれて
いるものです。
宴遊盃
一般的な宴遊盃は、上の画像のようなもので、ロシア人形のマトリョーシカ人形のように重ね合わせることが出来るもので、盃の大きさも、それほど大きく違っていませんが、私のものは、色々なサイズと形状の盃があり、組み合わせると、「松茸」のような格好になって、恐らく、「男根」をイメージしたものと思われます。
私の宴遊盃は、サイコロと蒔絵も、「松、竹、梅、鶴、亀」ではなく、サイコロには、「扇、三味線、瓢箪」等々の盃の絵中の踊っている人が所持しているものが描かれています。
宴遊盃とは、昔のお花見の際に、何か楽しい事がないかと、考えられたお遊びの
一つだそうで、今のお座敷ではあまり見かける事はないということです。
盃は、5つあって、それぞれの大きさが違います。
サイコロを振って、サイコロの目と同じ盃で、相手は、お酒を一気に飲むというお遊びです。盃の大きさによって、たくさん飲まされる人や、少しだけ飲めばいい人も出てきますね。
サイコロは、6面ありますが、盃を選ぶのに必要な絵柄は、5つだけです。残りの1つは、「宇多」の文字が書かれていて、このサイの目を出した人は、「宇多」→「歌」を歌うか、何か芸を披露しなければなりません。面白い趣向の遊びですね。
こちらは、私の宴遊盃と同じ形状ですが、定型の、「松、竹、梅、鶴、亀」が描かれています。サイの目に、「宇多」が見えていますね。
宴遊盃を作っているのは、山中塗、越前塗、金沢漆器辺りですので、石川県を中心とした地方でのお花見や温泉旅館などで、流行したものだと思われます。
現在でも、金沢漆器の「能作」などで買うことが出来ますが、残念ながら、盃は、6つで、サイコロも、普通のサイコロを使っているものが多いようです。また、蒔絵も、桜の花びらの数で選ぶようになっていて、ちょっと風情という意味では、趣がなくなっているかな?という気がします。(飲まされるお酒の量も少ないし・・・・(笑))
下のような、宴遊盃 は、こちらで買うことが出来ます。
現代版宴遊盃
また、もっとダイレクトに、下のようなサイの目が描かれているものもあるようです。
ここで、もっと風情のある宴遊盃をお見せします。こちらは、競り落とすことが出来ませんでしたが、狙っていたものです。それは・・・・
分解前の宴遊盃
何と、蒔絵で、春画(しゅんが)が描かれています。残念ながら、サイコロが残っていないので、サイの目がどんな絵柄になっているのか?は、確認できません。怪しい絵柄なんでしょうね?(笑)
この「男根」型の宴遊盃は、どれも、形状が同じですので、木地師は、同じところで作っていると思われます。そうすると、やはり、山中温泉街があり、温泉客へのお土産用に作ったものでは?と思え、山中塗の産地で、木地を作り、山中塗だけでなく、各地の塗り師が漆を塗って、蒔絵を描いたのではないか?と思われます。
★ 山中塗 ★
山中塗(やまなかぬり)とは、石川県加賀市の山中温泉地区で生産される漆器で、長い歴史を持っており、安土桃山時代の天正年間(1573年
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1592年)まで、遡ることができます。越前の国から山伝いに、加賀市山中温泉の上流約20kmの真砂という集落に、諸国山林伐採許可状を持った木地師の集団が移住したことが始まりだとされています。
当初は、山中温泉の湯治客相手の土産物が主でしたが、挽物類が特に上手なところで、素地に塗立てをした、茶托、椀、盆、飯器などの産地として有名でした。
しかし、1913年の温泉電軌の開通により、原料の調達が容易になり、関西などの消費地に近いという利点をいかして、廉価の大衆製品の大量生産に踏み切り、その結果、1981年には会津塗を抜いて全国一の生産量となりました。
木地師としては初めて人間国宝に認定された川北良造など、多数の木地師を擁していて、全国一の木地轆轤挽き物産地であり、輪島、越前、金沢など他産地への木地提供も行っており、特に、棗などの茶道具の木地は、全国の8割から9割が山中で挽かれたものです。
(記 : 2013年5月13日) |