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久留米籃胎漆器(くるめらんたいしっき)、井上らんたい漆器店製造の銘々盆です。 大きさは、幅:14.2cm、長さ:30cm、高さ:1cm(両端1.6cm)で、紙共箱に入っています。 久留米籃胎漆器 を作っている会社は、今では、3〜4社のみになり、しかも、全工程を国内で行われているのは、井上らんたい漆器店と、末吉籃胎漆器店のみになっています。 特に、井上らんたい漆器店は、国産の竹にこだわって、地元(耳納山中)の真竹のみを使用されていて、10名程度の職人さんが、すべて手作りで仕上げています。 ふくおかインターネットテレビで、井上らんたい漆器の取材番組が作られていますので、ご参考にされると、籃胎漆器の製造過程、特徴が良くわかると思いますので、「籃胎漆器 」をご参照ください。 ★ 籃胎漆器とは ★ 籃胎漆器(らんたいしっき)とは、竹材の表皮のガラス質の部分や、内肉の部分を取り除いて、縦割りした材料で、籠を編んで、漆を塗ったもので、中近東からタイ国辺りから、この技法が伝わったのでは?と思われています。 久留米や高松 で作られており、久留米では、網目を生かした方法が多く、高松では、塗りつぶして、蒟醤(キンマ)による装飾を加えています。 特徴は、湿度に対して変形せず、軽くて丈夫なことです。正倉院にも名作が残っていますので、かなり昔から、この技法があったことが伺えます。 ★ 銘々盆とは ★ 銘々盆とは、一人一人に、お品をセットでお出しする際に使用する盆で、下の例のように、お茶と和菓子のような和風のセットや、パンとサラダ、ソーセージとオムレツといった洋風なセットのように使います。一休盆 と同じような使い方ですね。 ★ 久留米籃胎漆器とは ★ 久留米籃胎漆器(くるめらんたいしっき)とは、福岡県久留米市で生産されている漆器で、福岡県の筑後地方の竹を編みあげ、漆を塗り込んだ漆器(竹かご=「籃」、母体=「胎」で「籃胎」)です。 江戸時代後期の明和2年(1765)頃、京都で名高い塗物師、勝月半兵衛を久留米藩に招き、久留米藩漆塗りが出来たのが、当地での漆器のはじまりとなり、明治20年(1887)頃、山本村(現在の久留米市山本町)に住む茶人・豊福勝次、同じく竹細工師・近藤幸七、塗師・川崎峰次郎ら3人が、力を合せて、籃胎漆器を造り出したとされています。 また、久留米籃胎(らんたい)漆器と呼ばれるようになったのは、明治28年(1895)京都で開催された、国内勧業博覧会からです。 籃胎(らんたい)とは、裂いた竹の皮を取って編んだ籠のことです。 薄い竹ひごを編んで下地を作り、竹籠の目地を埋めるため砥の粉(とのこ)を塗ります。 赤や黒、黄、飴色の漆を何回も塗っては研ぎ、研いでは塗るという工程をくり返して作られます。 最後に中に塗った漆の色が表面に出るよう研ぎ出し、独特の模様がつけられていきます。使うほどにつやが出るのが特徴です。 本来の色合いは、朱漆と、黒漆の2色配合を基本にしていますが、最近では、天然漆の他に、油性漆、ポリウレタンなどを使用していますので、色のバラエティーも豊富になっています。 現在、籃胎漆器の多くが海外からの輸入品で、全工程を日本で生産している籃胎漆器は希少になっており、国産の竹を使用した籃胎漆器を製造しているのは、井上籃胎漆器店と、末吉籃胎漆器店の、わずか2社のみとなっています。 ★ 漆器技能士 プロフィール ★ 井上 正道 (3代目) 1950年(昭和25) 久留米に生まれる。 1998年 第22回全国伝統的工芸品展グランプリ1席 内閣総理大臣賞受賞 2008年 久留米市技能功労士 こちらは、久留米籃胎漆器の茶托5枚セットです。 大きさは、径:12cm、高さ:1.5cmほどで、5枚セット、紙共箱付きです。 九州籃胎漆器が製造したものを、デパートの久留米井筒屋 が販売したものと思われます。 籃胎漆器を探していて、デパートで売られているものだから、いいものだと思って、先に買ったのですが、どうも、久留米籃胎漆器の特徴が出ていないなと思い、研究してみると、塗りは、カシュー塗料塗り、素地も、海外で作られたもののように感じましたので、ちょっとショックを受けて、純日本産の銘々盆を追加購入したというわけです。(笑) 九州籃胎漆器(通称:九籃)は、会社の規模も大きく、お買い求めになりやすい籃胎漆器を提供するということで、最近のものでは、労務単価の安い海外で素地、及び中間製品を作らせて、仕上げ塗装だけを日本で行っているものあります。流行りのアウトソーシングということなんでしょうね。(笑) (記 : 2015年2月11日)
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