旅するところ、焼き物・骨董あり!                                                                       <<<焼き物・骨董情報サイト>>>

トップへ  当サイトでは、筆者が、世界中を旅したところで集めた焼き物・骨董品を、
エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

三木久延作・京漆器の銘々盆

三木久延(みき ひさのぶ)作、京漆器波兎紋・銘々盆です。













大きさは、径:15cm、高さ:2cm、高台径:9cmほどの銘々皿程度のもので、共箱、共袋、栞付きですが、共箱に、「銘々盆」と箱書きがしてありますので、タイトルでは、「銘々盆」としています。

茶道の干菓子(ひがし)盆に使うものかもしれませんね。

波に乗る兔が描かれていて、干支の兔年用に作られたものかもしれません。そうすると、2011年か、1999年の作品かと思われます。

三木久延さんは、3代三木表悦(1936〜)の息子さんで、三木表悦(みきひょうえつ)は、京都市中京区東堀川通にある、京塗師・表派の一門で、京都で代々塗りの仕事をすると共に、漆芸家として創作活動に取り組んでおり、現在3代目となっています。

繊細な京塗の作品が手に入り、喜んでいます。

★ 京漆器とは ★

京漆器(きょうしっき)とは、京都府京都市内で生産される工芸品的な漆器のことです。

日本における漆工は、縄文時代には行われていたことがわかっており、その漆が、日本固有種のものであったことから、漆工の起源は、日本であることが定説になりつつあります。

奈良時代には、唐から伝えられた漆技を基に蒔絵が生まれ、日本独自の美的感覚で漆工技術を確立しました。この技術は、平安建都とともに京都に受け継がれ、蒔絵(まきえ)の技法が発達しました。

これが、京漆器のはじまりとされています。

以来、京漆器は、鎌倉時代、室町時代と発展し、蒔絵の技法を極めました。その後、時代の風潮を反映し、室町時代後期には、茶の湯と結びついたわび、さびの内面 的なあじわい深さを感じさせる「東山時代物」が登場しました。

安土桃山時代には、新興武士階級の好みを代表するような華麗な「高台寺蒔絵」が生まれ、町人文化の栄えた江戸時代には、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、尾形光琳(おがたこうりん)などが、豪華・緻密な意匠様式を残してきました。

特に、工芸の各分野において、卓越した才能を発揮した本阿弥光悦は、金蒔絵に金銀貝、青貝などを配した光悦蒔絵と呼ばれる斬新な感覚を表現し、元禄期に現れた尾形光琳にも大きな影響を与えました。光琳派の技法は、琳派(りんぱ)と呼ばれ、現代にまで受け継がれています。

また、千利休にはじまる茶道でも、わび、さびの境地から、漆器が使われるようになり、京都は、今日も変わらず、茶の湯の中心であり、茶器の生産量が多いのも、京漆器の大きな特徴です。

京漆器は、京塗(きょうぬり)とも呼ばれ、素材の選択、お膳や重箱の角などに、くくり錆 (さび)という特別な手数をかけた工程を施したり、独自の装飾技法、特に蒔絵の洗練された美意識において、他産地の追随を許さず、優雅なデザインと、器物の強さ堅さ、平面 の美しさ、かどの切立の美しさ、その繊細な仕上がりが特徴となっています。

                                               (記 : 2015年3月30日)
★ 作家 プロフィール ★

 三木 久延 (みき ひさのぶ)

1936年  漆芸家三木表悦の長男として、京都に生まれる。

1960年  京都市立美術大学(現京都芸術大学)工芸科卒業。

1962年  父表悦の下で、技術研鑽に入る。

 以降    三越、高島屋他で個展多数


最終更新日 : 2015年4月18日

Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行  All Rights Reserved 
















inserted by FC2 system