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広島市・原爆ドーム

広島を訪れた人の多くが訪れる、負の世界遺産原爆ドーム」ですが、現在の原爆ドームは、1989年に、2回目の大補修が行われた後の、原爆ドームです。


                   (1989年の大補修後の現在の原爆ドーム)

しっかりと補強され、3年ごとに、点検もされていることから、結構、綺麗で、「悲惨さ」が伝わってこない感じもしますね。


                  (2009年、点検中の原爆ドーム)

私が、子供の頃には、写生大会で、大補修前の原爆ドームの絵を描かされていましたから、少し印象が違うのも仕方がないところかもしれません。

1989年(平成元年)の大補修の前には、1967年(昭和42年)に最初の大補修がされています。












 1967年の補修工事
 (広島市民球場の照明塔が鉄塔式です。)


ですから、私の記憶にある原爆ドームは、1966年に永久保存されることが決まった後、翌年に大補修された後の原爆ドームということになりますね。

原爆ドームは、元々は、1915年(大正4年)に、広島県物産陳列館として、建設されたもので、チェコ人のヤン・レッツェル氏の設計です。被爆当時は、広島県産業奨励館として、美術展などが行われていました。

 広島県産業奨励館と呼ばれていた被爆前の建物

 1945年8月6日に投下された原爆

しかし、1945年8月6日、原爆ドームの上空、580mのところで、原子爆弾が炸裂し、一瞬のうちに、下のような状況になったわけです。



その後、周辺が整備されて、バスが側を通ったり、貸しボートが出来たりしました。


                    (昭和28年の原爆ドーム)


                  (昭和31年の原爆ドーム)

私の記憶には、このような貸しボートがあったのを、鮮明に覚えていますし、恋人たちのデートスポットでもありました。羨ましくて、見てるだけでしたが・・・・・(笑)


                 昭和34年頃の原爆ドームと周辺のバラック住宅

私の記憶している原爆ドームの画像はないものか?と、ネットで調べましたが、当時は、白黒フィルムが主流で、カラーフィルムは、高かった頃で、デジカメもなかったわけで、中々、これぞと思う画像を発見することが出来ませんでした。そして、やっと見つけたのが、下の写真で、恐らく、昭和43年頃の原爆ドーム だと思います。昭和31年の時のものと比べると、護岸の整備がされていることに気が付きます。



カラー写真を、スキャンしたものと思いますが、桜の木に葉がつき始めていますので、初夏の頃でしょうね。

 貸しボートと原爆ドーム

今では、貸しボートは、すっかり見なくなりましたので、20年ほどのものでしょうか?良く見えませんが、原爆ドームも、89年の大補修の前のような気がします。

画像の年代を判別するには、川の状況が見えていれば、護岸の改修が、どんどん良くなっていますので、わかりますし、遠景に見える広島市民球場の照明塔を見れば、時代がわかります。広島市民球場が出来たのが、昭和32年で、鉄塔式の照明塔が、ポール式の新しい照明塔に変わったのが、1987年(昭和62年)です。

 近年の原爆ドーム

1989年の大補修後は、ポール式の照明塔になっていますので、年代の考証の参考にしてください。

                                               (記 : 2011年1月22日)

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