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広島市民球場

昭和32年7月24日から、2009年3月31日まで、53年間に渡って、広島東洋カープの本拠地として、使っていた(旧)広島市民球場ですが、その使命を、新広島市民球場(マツダスタジアム)に譲って、2010年11月29日から、解体工事に入っています。

旧広島市民球場 のサヨナライベントが、2010年10月24日に開催され、終球式に臨んだ秋葉市長が、ボールを投げ付けられるというハプニングもありましたが、今、その姿を消そうとしています

この広島市民球場が完成した年に、私が生まれたこともあり、子供の頃から、カープと共に、暮らしてきたという感じですので、その思い出の広島市民球場が、無くなってしまうのは、ちょっと寂しい気持ちになりますね。

広島県、広島市の強い熱意と支援で、昭和25年に誕生 した広島東洋カープですが、それまでの本拠地の総合グランド野球場は、照明施設がなく、収容能力も少なかったことから、地元の企業や市民から建設資金の寄付を受けて、中国地方初の、ナイター施設を持つ野球場として、昭和32年(1957年)2月22日起工、7月24日使用開始という、突貫工事で、完成しています。


                     昭和32年、建設中の広島市民球場


                        完成直後の広島市民球場

 完成直後(別方向から)


                 完成間もない広島市民球場(原爆ドームや、平和公園が見える)


                      昭和32年7月広島市民球場落成

翌年の昭和33年の写真を見ると、内野スタンドが、全部完成していることがわかります。


  昭和33年 完成翌年の広島市民球場(内野スタンドが完成している)

 
        昭和33年工事中の広島市民球場                昭和33年の試合風景

当時は、外野スタンドが小さく、木のいすで、お尻が痛かったことを覚えていますし、私の場合、何故か、ライト側の外野にいることが多く(多分、観客が少なく、父親が迷惑を掛けてはいけないと思ったのでしょう。)、王貞治のホームランが、我々のはるか上空を飛んでいって、場外まで達していたのをよく覚えています。


                     スタンドは、木製のいす(昭和34年撮影)

また、照明塔は、鉄塔式が6基あるのですが、その足の部分が、特に内野席では、観戦に邪魔で、その頃から、なんとかならないものか?と思っていました。

その後、1987年に、内野スタンドの2層化が、完成し、内野にあった鉄塔式の照明塔は、ポール式になっています。その後、93年に、外野席もポール式の照明塔になり、この年、スコアボードも、電光式になっています。


 内野スタンドの2層化後の広島市民球場(外野照明塔は、まだ鉄塔式)

下のスコアボードには、ランスの名前がありますので、山本浩二が引退した翌年の1987年頃の写真だと思いますが、私の記憶にあるのも、このスコアボードです。人の高さよりは大きい得点ボードを手動で変えていました。時には、担当者が、勘違いして、別の得点が掲示されることもありました。(笑)

93年に電光式に変更になるまで、35年間に渡って、このスコアボードは使われました。表示方式にも特徴があり、現在の打者をランプ(信号灯)で、出塁している走者は打順ランプの外側を囲うネオン管を点灯させて表示していました。

また、スコアボード棟の内部は3層構造でクーラーも無く、夏場は涼むためスコアボードのパネルを空けて係員が涼をとっていたため、スパイ容疑が掛かったこともありました。



そして、2009年、新広島市民球場(マツダスタジアム)へ、広島東洋カープの本拠地が移り、4月1日からは、広島市民球場となり、高校野球の予選等が、細々と行われていましたが、2010年9月1日、ついに閉鎖となりました。


                        2010年の広島市民球場

 解体直前の広島市民球場

2010年10月には、芝生の販売や、備品のオークションが行われ、11月29日、解体工事が、始まりました。

 解体工事中の広島市民球場

広島カープは、国鉄スワローズと共に、毎年、ビリ争いをしている球団でしたが、1975年に、奇跡が起こりました。広島カープのリーグ初優勝です。広島市民の誰もが、信じられない気分でしたが、現実のものとなりました。



その後、リーグ優勝5回(合計6回)、日本一3回をしていますが、75年のリーグ初優勝の時の感激は、忘れることが出来ない奇跡の出来事でした。

その思い出を作った広島市民球場は、無くなりますが、広島カープは、リーグ優勝が途絶えて、もう20年になります。世代交代を終えて、新しい広島市民球場になった、マツダスタジアムで、再度、感激のドラマを作ってもらいたいものだと思っています。
                                                (記 : 2011年2月8日)

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