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可部線の変遷

現在の可部線(かべせん)は、広島県広島市西区の横川駅から、同市安佐北区の可部駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(15.4km)です。

可部線の現存区間は、1909年(明治42年)に大日本軌道が開業した区間を、1936年に国有化したもので(買収時は、広浜鉄道)、国鉄が、可部ー横川区間を買収したあとは、県北へ向けて、順次延伸させ、昭和29年には、加計まで開業しています。

1962年(昭和37年)には、太田川放水路建設のため、横川駅 - 安芸長束駅間の線路を付け替し、横川駅可部線ホーム、三滝駅が移転しています。





1968年には、可部駅 - 加計駅間 (32.0km) が「赤字83線」に挙げられ廃止勧告を受けていましたが、翌1969年に、加計駅 - 三段峡駅間 (14.2km) が延伸開業し、1974年には、三段峡駅 - 浜田駅間の建設工事に着手しました。

背景には、止められない公共事業という面と、広島と浜田を結ぶ幹線鉄道となれば、活用できるという目算もあったのでしょうが、1980年、国鉄再建法により今福線(三段峡〜浜田)の工事が中止となり、観光地の三段峡駅が終点となることになりました。

1998年、JR西日本が可部駅 - 三段峡駅間廃止の意向を表明し、幾つかの試験ケースを実施し、旅客数が増えるか?という実験が行われましたが、赤字の解消には繋がらず、2003年12月1日、可部駅 - 三段峡駅間(46.2km) および、河戸駅 - 三段峡駅間の21駅が廃止となりました。

私も、廃線になる前に一度三段峡へ行っておこうと、家族で、10月頃に出掛けましたが、超満員で、可部からの、あの長い距離を立ったままで過ごしました。(疲れた〜〜〜〜!)

こういった歴史の上に、現在の可部線があり、現在は、広島駅を起点に運行されており、使いやすくなっています。

私が、子供の頃によく利用していた可部線ですが、蒸気機関車での運行も行われていたことを知っている方も少ないか?と思い、なるべく昔の画像を拾ってきて、解説したいと思います。



可部線は、広島駅の1つ岩国寄りの横川から可部までの15.4キロの単線電化路線で、今は、広島駅が起点になっています。可部から、三段峡までに至る60.2キロの路線は非電化でしたが、平成15年11月30日、国鉄が民営化されて始めての廃止路線となりました。

私の記憶が正しければ、古市橋ー横川間は、蒸気機関車(SL)が頻繁に運行されていて、主に、貨物を取り扱っていたと思います。昔は、チッキと言って、布団などを手荷物輸送することが出来ていて、実家の近くの「下祇園」駅から、出したことを覚えています。

可部線
                 三滝駅踏切を渡る可部線(C11)

あの、近隣家屋が、ぎりぎりまで建っているところを進む、SLの響きは、強烈でしたね。


              本川橋梁(山陽本線)を通る混合列車の可部線(C11)

一方、旅客は、昭和のはじめには、電化されていますので、電車がほとんだだったのでは?と思います。ただ、可部ー加計間は電化されていませんでしたので、ディーゼル車の登場までは、その区間は、SLだったのでしょうね。

 扉は、自由に開け閉め出来た。

国鉄時代は、上の形の車両が走っており、「日本で最も古い電車」と言われていました。床は、木にワックス掛けで、ぷーんと油の臭いがしていました。可部線には、「お古になった電車が集まって来る」と、言われており、昭和40年代でも、大正時代?に製造された電車が走っていたような記憶があります。


                 三滝鉄橋を渡る可部線の電車(クモハ12形)

 こちらは、クモハ11形0番台かな?


下関車両センターに保存されている旧モハ30のクモハ11117。可部線にいたので正面は自連仕様。

 クモハ16形

私の記憶に一番残っているのは、このクモハ16形かもしれません。「半自動扉」のラベルが見えますが、停車中は、寒さ防止のため、電車の扉を自由に開閉できました。

そのうち、クモハ11、12、16形は、1976年(昭和51年)に、72系に代替され、廃車されました。

 
                72系(1976年〜1984年)

現在は、105系(1984年〜)が、多く使われています。

 105系

2003年10月、可部〜三段峡が廃線になる直前に、家族で、三段峡へ行った際に乗ったディーゼルカーは、キハ40形でした。今は、どこへ行っているのやら?

 キハ40形

 三段峡入口

懐かしい、三段峡ホテルがあります。子供の頃、宿泊して、枕投げで、大騒ぎして、怒られました。(笑)
                                                (記 : 2012年9月30日)

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