マスコミの作った論調に惑わされていないか?データは裏切らない!                        <<<情報の裏読みサイト>>>

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日本の首都は東京?

大阪府の橋下徹知事と、名古屋市の河村たかし市長が、それぞれ掲げる「大阪都」「中京都」構想を巡り、東京都の石原慎太郎知事は、2010年12月10日の定例記者会見で、「国の政府があるところが首都で、二つも三つも都があるわけがない。東京にとっては迷惑千万だ。」とけん制したそうです。

石原さんの理解では、国の政府があるところが首都で、今は、東京が首都であると解釈されているようですが、本当に、その解釈は、正しいのでしょうか?

少なくとも、私の解釈では、東京に首都が移ったことは、平安遷都から、一度もなく、現在でも、日本の首都は、京都だと、私は理解しています。

日本では、天皇が居住しているところが、都(首都)と解釈しているようで、江戸時代までは、京都に天皇が居住していましたから、京都が、首都だったというわけです。

そして・・・・・

私の解釈を裏付ける論文をご紹介すると、(「東京遷都?(1869)」参照)

『慶応4年は、9月8日に改元され、明治元年となり、その翌年の3月28日、若き天皇睦仁(明治天皇)は、江戸城改め東京城に入り、城の中に太政官府を設置します。

これを、一般には、東京遷都としています。

結局、正式な遷都の布告はなく、「天皇が、東京にいる間は、太政官も東京に置く」というなんとも玉虫色の宣言がなされただけでした。

しかも、京都市民に向けて「東国は、未開の地であるから度々行幸して教化するが、決して京都を見捨てたりしないので安心するように」というメッセージまで出されます。

要するに、日本の首都は、どうも法的に厳密なことをいうと、まだ京都であり、天皇が東京に「滞在」している間だけ、臨時に、東京が首都とみなされるということのようです。』

私が、申し上げたいのは、普通に何の躊躇もなく使っているものでも、物の見方を変えると、自分が100%正しい!ということが出来なくなるということです

今年のノーベル平和賞に対する日本の報道は、中国側に非があるような報道をしていますが、本当にそうでしょうか?

ただ、自分たちの価値観を押し付けているだけではないでしょうか?

マスコミの作った価値観には、大きな間違いがあるものも多いように思いますし、最近の傾向としては、マスコミの作った価値観を、「世論」という得体の知れないものとして捉え、多くの人々が、それを何の検証もなく、受け入れているような気がします。

ほとんどの日本人に、「日本の首都はどこですか?」と聞くと、「東京」と答えが帰ってくるでしょう。しかし、私は、「京都」と答えますし、「京都」と答える人を、間違っているとするのは、間違っていると思っています。(笑)
                                              (記 : 2010年12月17日)

追記 : 広島も一時「首都」だった!

東京を首都とする言い分を捉えると、広島も、一時、日本の首都だったことをご存知ですか?

日清戦争中の1894年9月15日から1895年5月30日のまでの227日間は、広島城内におかれた大本営において、明治天皇が、「広島行幸」で広島に移られ、直接、戦争の指揮にあたりました。

広島城の南にあたる西練兵場には、国会議事堂も仮設され、ここで10月18日から22日まで、第7回帝国議会が開かれました。

立法・行政・軍の統括が東京から広島に移転していたことになり、この時期は、広島が一時的に首都機能を担ったことになります。      
                                               当時の広島大本営      
大本営は、天皇が皇居へ戻られた後も、1896年4月1日まで残りました。

首都機能は移ったとは言え、当然ながら、「広島遷都」の宣言はしていませんので、正式には、依然として、京都が、日本の首都のままであるということでしょうね。
                                            (追記 : 2011年2月11日)

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