万暦赤絵の話(その1)では、簡単に万暦赤絵とは何かという話をしましたが、ここでは少し詳しく
万暦赤絵についてお話しましょう。万暦赤絵とは、明朝の万暦年間(1573年〜1620年)に作成された
五彩(赤、青、黄、緑、紫)を使った色絵磁器のことです。明国は、1368年に洪武帝が建国し、1644年に
滅亡しております。日本では、室町時代から安土桃山時代を経て、江戸時代の初期までの時代に当たります。
明朝は第3代の永楽帝により確固たる国力を確立し、栄華を極めていましたが、この万暦年間は、北方の
ヌルハチ(後の清国)の攻撃、日本からは秀吉の朝鮮出兵等により急激にその力が低下してきた時期であり
ます。そして、万暦年間が終了後、24年で明朝は滅びています。
同時期に、明朝の磁器作成技術が朝鮮を経て、日本へも入ってきて、日本で最初の磁器が有田で焼かれ
ました。古伊万里は、ある意味、万暦時代の中国磁器を見本にして作られ、その後日本的な感覚を表現して
いったものなのです。万暦年間は、国力が衰えてきていた時代で、中央の統制も緩んで、陶工たちが、思い
思いに自由に筆を運び、個性のある作品が多く作られています。
それでは、私が買い求めた万暦赤絵を見てみましょう。皿の中央にお寺かな?お立ち台のようなステージが
あって偉そうな坊さんが二人の従者をつれて偉っそうに座っています。この絵が何を表現しようとしているの
かは、私にはわかりませんが、絵皿にはよく当時の様子が描かれていることがありますので、その時代、
このような感じで、偉いお坊さんが説教していて、その様子を後世に残したかったのかもしれません。
いずれにしましても、この絵皿のように、万暦時代の五彩磁器は全体的に赤を多く配色して、赤っぽく見える
ことから万暦赤絵と呼んでいます。万暦赤絵の特徴は、中に絵を描いているものが多く、特に人物、建物、
動物、龍等が描かれています。
銘を見てみましょう。しっかりと”大明萬暦年製”と入っています。手書きですが、当時の一般的な銘です。
こういった製造年を銘として入れるようになったのは、明朝の宣徳年間(1391年〜)からです。それ以前の
ものには製造年の標記はありませんので、正確な製作時代がわかるのは、宣徳年間からのものだけです。
さて、この赤絵皿、状態が完品であったので、新しい年代のものではないかと疑ったのですが、信用のおける
骨董屋さんだったのと、その骨董屋で仕切っていた奥さんと値段の交渉をしていたら、店主のご夫婦のおばあ
ちゃんから”骨董というのは値切って買うものではない!”と叱られまして、その場で、交渉は終了。その値段で
買った思い出があります。客を叱る店主の気迫に参りましたし、骨董というのは、自分で値段を決めるもの
なのだと言い聞かされた気がしました。
ちょっと長くなりましたので、次回には、約束事と骨董蒐集の楽しみ方についてお話します。