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2009年4月18日の週末、愛媛県の伊予郡砥部町で開かれた砥部焼き祭りに行ってきました。 砥部焼き(とべやき)は、四国の焼き物の生産高No.1ですが、元々は、砥石の産地で、その砥石のくずを、水車で砕いて、陶土にしています。 備前焼や、有田焼、九谷焼きのような有名作家が少なく、日常生活の食器や雑器が多く、重くて、壊れにくいというのが、もっぱらの評判で、普段使いの食器として、普及しています。 特に、讃岐うどんの丼に、よく使われています。 砥部焼は、大洲藩・九代藩主、加藤泰候(かとう やすとき)の時代に、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことに起源を発するといわれています。命じられた杉野丈助(すぎの じょうすけ)が、砥部の五本松という所に登り窯を据え、苦労の末に1777年(安政6年)にようやく白地に藍色の焼き物作りに成功したといわれています。 また、文政元年(1818年)、五本松の向井源治は「川登陶石」を発見しました。これまでのやや灰色がかった磁器から、より白い磁器を作ることが可能になり、砥部焼の7割が海外に輸出されるようになり、明治以降、砥部焼は中国等の外国に「伊予ボール」の名で輸出されるようになりました。 砥部焼は、昭和51年に、陶器の世界では全国6番目に、「伝統的工芸品産地」として指定されました。伝統的な砥部焼の技法は、今も受け継がれていますが、最近では、女性や若手陶工の手による伝統的な技法にこだわらないモダンで新鮮な作品も多くなっています。 下のお皿が、今回、買い求めたお皿ですが、梅山窯のもので、大きさは、径21cm程のもので、最も、砥部焼きらしいものです。 染付の文様が、独特で、「砥部唐草」とも、呼ばれています。砥部焼と言えば、この砥部唐草をイメージされる方も多いと思います。 梅山窯(ばいざんかま)は、明治15年、梅野政五郎によって開窯し、100年あまりの伝統が受け継がれる、砥部焼でも、特に大きな窯元です。大きな窯元だけあって、造っている砥部焼の量もすごい量!でも、ろくろをひくところから本焼きまで、すべてが手作業で造られています。 清楚な白磁の暖かい肌に融けこんだ呉須と色絵の実用食器、額皿、花瓶など、数多く製作しています。 昔使用していた大登り窯なども見学可能です。現在砥部町に残っている大登り窯はここだけだそうで、手をのばしても天井に届かないほどの大きさでに驚いてしまいます。 窯印 また、格式を重んじないのが、砥部焼きの特徴 で、伝統に縛られず、自由闊達な作品もあります。 私のお目当ては、オークションで買った花瓶の窯元の「大西陶芸」を訪れることでした。 砥部焼き祭りということで、祭りの会場の方が忙しくて、空けていないのではと思いましたが、ご主人の大西光さんが、ひとりで、お店番をしていらっしゃいました。 大西陶芸は、ご主人と、息子さん、娘さんの3人で、窯を経営されていますが、今回は、娘さんの白石久美さんの作品のビールカップを買いました。 青い葡萄シリーズで、人気のシリーズのようです。 白石久美さんは、ろくろを回すことはなく、デザインと、絵付けだけをする作家ですが、女性らしい色使いで、ビールもおいしくいただけました。(笑) 【 作家紹介 】 白石 久美 (しらいし くみ) 徳島県鳴門市出身 1965年10月17日生 1984年 愛媛県立松山南高校デザイン科卒 1986年 大阪デザイナー専門学校 グラフィックデザイン科卒 日本工芸会正会員 絵付け1級陶磁器技能士 土曜日の夜は、砥部町から30分程のところに、道後温泉があり、道後温泉本館の近くの宿に宿泊をして、おいしい「桜鯛」のコースをいただき、すっかり、酔っ払ってしまいました。 翌日は、松山市内を観光して、しまなみ海道を渡って、帰りましたが、途中の、尾道市の生口島、瀬戸田に、立ち寄って、日本画家の平山郁夫美術館を、訪れました。 小学校の4年生の頃の絵日記とかが展示してありましたが、その絵の才能には、びっくりするばかりでした。 やはり、天才は、子供の頃から、天才なんだなと、思い知らされた絵のうまさでした。 今でも、故郷の島々や橋の絵を描き続けられていて、スケッチをしては、自宅がある鎌倉へ持って帰って、作品にされているようです。もう79歳ですが、お元気の様子です。 (平山郁夫さんは、東京芸大の第6,8代の学長で、通算10年間も学長をされた人です。) 季節も、最高の時期でしたし、高速道路の1日上限1000円のシステムを使わせていただき、楽しい旅を、楽しんできました。 (記 : 2009年4月26日) 追記 1 : 平山郁夫さんが、2009年12月2日、脳梗塞のため死去されました。(享年79歳) 謹んでお悔やみ申し上げます。 生前の平山郁夫氏 1930年6月15日 広島県豊田郡瀬戸田町に生まれる 1945年8月6日 広島市で、被爆 1947年 東京美術学校(現東京藝術大学)入学 1989年〜95年 東京芸術大学学長 (6代) 1998年 文化勲章受賞 2001年〜05年 東京芸術大学学長(8代) (追記 : 2009年12月12日) 追記 2: 砥部焼・栖山窯(せいざんかま)の蛸唐草文様ぐい呑みです。 陶印 栖山窯では、砥部唐草と言われるまでになった、唐草文様が主力で、約70%を占め、らん・桔梗・椿・スイートピーなどの花柄を、約30%位の割合で作られています。このぐい呑みも、主力の作品で、砥部らしい作品だなと、思い、購入しました。 大きさは、直径5.4cm×高さ4.3cm程で、ぼってりと重みのある手応えが素朴な、『蛸唐草』模様のお品です。 栖山窯は、現在の代表者の長岡洋一さんのお父さんの長岡文男さんが、1951年に起業した比較的新しい窯ですが、「砥部焼の雰囲気を失わずに、心地よさを与えられる器を作っていきたい」ということで、砥部焼の伝統を大切にしておられる窯元です。 ● 作家 プロフィール ● 長岡 洋一 (ながおか よういち) 1966年 生 1984年 地元の窯業試験場の研修課程修了後、 実家の栖山窯へ 窯印 冷酒というよりは、熱燗が合いそうなぐい呑みです。田舎っぽいというと、失礼ですが、素朴さがたまらない作品ですので、大切にしたいと思っています。 (追記 : 2010年9月3日)
1966年 生 1984年 地元の窯業試験場の研修課程修了後、 実家の栖山窯へ 窯印 冷酒というよりは、熱燗が合いそうなぐい呑みです。田舎っぽいというと、失礼ですが、素朴さがたまらない作品ですので、大切にしたいと思っています。 (追記 : 2010年9月3日)
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