2009年12月27日、広島県福山市熊野町の、熊野焼(くまのやき)窯元、熊野焼門窯を訪問しました。
地元(広島)の窯元ですが、ちょっと迷ってしまって、着いたのが、お昼の時間になりましたが、行く前に、電話を入れて出掛けたこともあってか?、快く、迎えていただきました。
工房の2階の展示室に通されて、一番に目を引いたのが、下の皿谷緋佐子さん作の、今年の干支絵皿でした。
迎えていただいたのは、皿谷実さんで、実さんの作品ではなかったのですが、この牛の表情がなんとも言えず、「買ってもらえ!」と言っているようで、「この皿は、非売品ですか?」と、お聞きすると、販売できますということでした。
来年の干支は、寅ですから、「寅はあるのですか?」とお聞きすると、来年用のものを持ってきていただきました。
干支絵皿は、実さんのお姉さんの緋佐子さんの、得意なもので、毎年、こういったものを作成されているよう
ですが、今年は、ご高齢になったこともあって、彫り物が、出来なくなり、白化粧の上に、寅の絵を鉄絵で描かれたものでした。
さすがに、彫り物ほどの迫力はなかったので、結局、この牛の干支絵皿を譲っていただきました。大きさは、
直径21cmほどです。もう、今後、皿谷緋佐子さんの彫り物の干支絵皿は、この世に生まれて来ないでしょう
から、貴重なものを譲っていただくことが出来ました。
焼き物の話を色々とさせていただき、皿谷実さんとご一緒に、写真も撮らせていただきました。
元々、ぐい呑みを買おうと思っていたこともあり、実さんのものを買わないとまずいのでは?と思い、下のぐい呑みも譲っていただきました。(笑)
皿谷実作 刷毛目ぐい呑み
実さんの作品は、色々なものがあり、かつては、穴窯で焼かれていたそうですが、今では、電気窯を使われて
いるそうです。
色々な作品
皿谷緋佐子さんの干支絵皿と、皿谷実さんのぐい呑みを、買わせていただいたのですが、支払いを済ませると、家内に、マグカップか、ビールカップから、「好きなものを持っていきなさい」と言われて、家内が選んだのが、下のビールカップです。
この配色のものは、実さんの得意のもののようで、私が気に入っていた香炉も同様の色彩でした。
おまけにしては、高価なものを、どうもありがとうございました。
★ 熊野焼(くまのやき)とは ★
熊野焼は、広島県福山市熊野町の熊野焼門窯で作られている焼き物です。
元々、熊野町には、上代土器窯跡が残っており、昔から、陶土の出る地方だったようです。
昭和21年に、字門東の皿谷一二(膳左エ門)が、此の地に陶土のあるのを知り、窯を築き、「門焼(かどやき)」と称して、日用茶器等を生産しました。
昭和29年5月、春日大社宮司、水谷川忠麿氏(近衛文麿氏弟)が来訪作陶された折、熊野焼と命名されました。
それ以前は膳左ェ門の実家の屋号である門(かど)をとり、門窯(かどがま)と云っていました。
現在は熊野焼門窯と云っています。
膳左ェ門の後、皿谷緋佐子さん(83)、実さん(68)姉弟(2009年6月現在)によって、受け継がれています。
緋佐子さんの作品は、土へのこだわりと、絵を彫るのが特徴で、干支絵皿は、注文が殺到しており、実さんは、造形美を追及し、独創的な作品を焼いています。(「皿谷陶芸」HP参照)
皿谷緋佐子さんの干支絵皿 作陶風景
皿谷実さんの窯変鉢 皿谷実さんの青変角花器
(記 : 2009年12月27日) |