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崎川羊堂、原口梅羊作・紅渓石硯

2代崎川羊堂(さきかわようどう)作・紅渓石硯(こうけいせきすずり)です。













大きさは縦幅:15p、横幅:9p、厚み:2pほどで、紅渓石独特の赤紫色をしています。自然型の硯で、結構、使いこまれている感じです。「紅渓石」の刻印と、記念品の刻字があります。

紅渓石硯は、数が少ないため、中々、市場に出てこないのですが、この紅渓石硯は、大きな羅紋硯の「おまけ」の中に含まれていたものを発見し、購入しました。(笑)

紅渓石硯は、お値段が、同様の赤間硯の4〜5倍もし、しかも、数が少ないので、新品を大枚を叩いて買う以外には、入手が困難ですが、出品者がお品を判断することができなかったのが、幸いしました。

しかしながら、残念なことは、この硯は、記念品で、贈られた人の名前と日付が刻印されています。しかし、そのことが、この硯が、紅渓石硯であることを証明してくれました。

硯裏面に、「昭和24年2月16日吉日」とありますから、64年前のものとなります。そして、別の紅渓石硯の作品の刻印と比較したところ、筆跡が全く同じでしたし、崎川羊堂は、昭和39年に亡くなっていますので、時代的にもあっているということで、これが、宮崎県延岡市の崎川羊堂作の紅渓石硯と断定したわけです。

通常、「記念品」の価値は、極端に下がりますが、この硯には、作者や石名の刻印がない分、逆に、内容と、筆跡がわかって、数少ない紅渓石硯を探し当てることが出来ました。

 

 

共箱、「羊堂作」の刻印のある真作の
刻印の様子 

私の硯(作者刻印なし)
「贈」「宮崎縣」の筆跡が一致。 




上の画像が、大きな羅紋硯の「おまけ」だった、紅渓石硯と、もう1面の硯です。もう一方にも刻印がないのではっきりしませんが、良いものではないか?と思っています。両方とも、使いこんでありますので、少し手入れをしてあげようと思っています。

★ 紅渓石硯とは ★

紅渓石硯(こうけいせきすずり)」とは、宮崎県東臼杵郡北川町を原産とする硯石を使って、現在は、延岡市 で作られている硯で、その始まりは、天保8〜9年頃、信濃国の徳蔵という者が、渓間に 露出している岩を見て、硯石に適材となることを認めたという説と、天保10年(今から約 160年余り前の1839年)、旧延岡藩士であった河原新蔵 が初めてこの石で硯を作ったとする説がありますが、.いずれも、原石は、同じとされています。

河原らは、廃藩後もこの石を使った硯の製作にあたり、延岡特産の基礎を築きました。

その後、明治32年、地元(新小路)出身で、宮内庁御用師・内海羊石の門下であった原口梅羊(本名実五郎=初代羊堂)が帰郷し、紅渓石を硯材とし数々の傑作を製作し、天皇その他各宮に献納硯を作りました。

梅羊没(昭和19年)後、その技術は崎川羊堂に引き継がれ、昭和39年、崎川羊堂が没すると、梅羊から三代目となる相馬羊堂(そうまようどう)がその技法を受け継ぎました。

 

3代相馬羊堂さん 

三代目となる相馬羊堂は、昭和9年日向市の生まれで、15歳の時に紅渓石硯師の二代目である崎川羊堂に入門し、昭和39年、崎川羊堂没後、「羊堂」を襲名していますが、2003年に病に倒れ、この世を去っています。その後、息子さんが、2003年に4代「羊堂」を襲名して、現在に至っています。

3代相馬羊堂は、昭和53年頃、紅渓石の採石が困難になり、埋蔵量も少なくなった故もあって、韓国のソウルから7時間ほどの忠清北道丹陽で産する、紅渓石に似た原石を約2千枚(18トン)を輸入し、現在紅渓石と併用しています。

私の紅渓石硯は、輸入前の時代のものですから、純粋の和硯ということになりますね。(笑)
                                                (記 : 2013年11月6日)

追記 :

初代原口梅羊作、彫刻紅渓石硯を入手しました。













大きさは、幅:9cm、長さ:12cm、高さ:2cmほどで、少し小振りの硯ですが、海と墨堂の部分に特徴があります。海は、小さく、墨堂の砥石で鋒鋩を立てている部分が小さなものです。辰でしょうか?彫刻が施してあり、大変優雅な仕上がりとなっています。

刻印は、「梅羊刀 」としっかりと刻まれていて、初代の作品は、あまり見かけませんし、とても、使用する気分にはなりませんので、美術品として、飾っておこうと思っています。

現在の紅渓石硯 は、明治32年、地元(新小路)出身で、宮内庁御用師・内海羊石の門下であった原口梅羊(本名:実五郎=初代羊堂)が帰郷し、紅渓石を硯材とし数々の傑作を製作し、復興させたもので、梅羊は、昭和19年に亡くなっていますので、この硯は、戦前のものということになります。

大変、珍しいものが手に入ったと喜んでいます。末永く、大切にしたいと思っています。
                                          (追記 : 2013年11月27日)

追記 2:

2代崎川羊堂(さきかわようどう)作・紅渓石硯(こうけいせきすずり)で、波間の亀を彫刻したものです。











大きさは、長さ:20cm、幅:15cm、厚さ:2.5cm、高さ:4cmほどで、「羊堂作」と、「崎川」の刻印があります。

かなり使い込まれていて、墨堂内は、少し傷の入っている部分もありますが、見事な彫刻がなされている硯です。早速、墨堂を、泥砥石で目立てをしてみました。普段使いにしたいと思っています。

                                            (追記 : 2014年11月5日)

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