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芳秀堂の岩坂芳秀(いわさかほうしゅう)作、若田石硯(わかたいしすずり)です。 大きさは、長さ:22.8cm、幅:17.5cm、厚さ:2.3cmで、「若田石」と、「芳秀刻 」の刻印があります。 2代目 岩坂芳秀さん 芳秀堂(ほうしゅうどう)は、初代芳秀が、16歳(1920年)の時に、江戸中期から硯作りや釣り針作りをしていた満山家の弟子になって、硯作りを学び、その後、熊本の名工伊藤芳郎の許に弟子入りし、3年間の修業の後「芳秀」の雅号を貰って対馬へ戻り、1924年(大正13年)に開業したお店で、現在、2代目の岩坂芳秀さんが、継承されています。 初代は、昭和50年に亡くなられていますが、私の硯は、2代目の芳秀さんの刻印とは少し違うような気もしますので、もしかすると、初代のものでは?と思っています。 形は、三角形で、川原に自然にあったものを、使って作られたものと思います。頭の部分には、斑紋のような文様があり、恐らく、それを活かすために、こういったデザインになっているのかな?と思います。 若田石硯(わかたいしすずり)は、長崎県対馬市(つしまし)厳原町下原・若田地区に産出する「ホルンフェルス化」された粘板岩又は頁岩(けつがん)が原石で、産地名を取って付けられた若田石を使って製作されていますので、若田石硯と呼ばれています。 対馬島、佐須川流域にある自然石を、原料としており、自然の形、文様を生かした硯に作り上げるのが特徴です。若田石の石質は温潤で、石色は黒青、黄臕は褐緑石、層はきわめて薄く千枚岩といわれる粘板岩、又は頁岩が変成したものです。(右の画像が、原石取り場(画像出典:対馬観光物産協会)) 古くは、平安時代に紫式部が、『源氏物語』を草稿したさいに使用したとも言われていますし、江戸時代初期には、儒学者・林羅山の著書『霊寿硯記』に、「(正保元年(1644年))、若田川畔にて、手を加えずそのまま硯として用いられる自然石を採取。端渓の美、羅紋の美にも勝る。」と、硯記に記されており、長い伝統があることが伺えます。 現在は、長崎県の伝統工芸品に指定されており、若田石硯「夢工房」他、幾つかの工房が対馬島内にありますが、対馬で産出された若田石を使って、山口県や、熊本県でも、若田石硯が作られています。 (記 : 2013年9月23日)
2代目 岩坂芳秀さん
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