切込焼(きりごめやき)の、染付の蕎麦猪口2個です。
大きさは、径:75mm、高さ:70mm程度で、染付の蕎麦猪口です。時代は、明治初期のものではないか?と思っています。
実は、下の写真のように、買ったものは、7つあり、ほとんどのものに、割れ欠けがありましたので、状態の良い2つを取り上げています。
いずれも、呉須の発色の良い磁器で、宮城県の旧家からの買い上げ品ということでしたので、切込焼で間違いないと思います。
絵付けは、益子焼の皆川マスばあちゃんのタッチに似ていますね。
宮城県に磁土があるのか?という疑問がありますが、先日、高知県の尾戸焼の窯元を訪れた際に、高知県で焼かれていた能茶山焼という磁器の話をした際に、原料は、天草陶石だと教えていただきました。
恐らく、切込焼の磁土も、天草陶石を、海路で運んだものではないか?と思っています。
下の皿は、江戸時代の切込焼で、呉須の発色が、少し甘い感じがしますが、仕事が丁寧です。こちらは、献上品か、お城で使われたものではないか?と思います。
★ 切込焼(きりごめやき)とは ★
切込焼(きりごめやき)は、宮城県加美郡加美町にて焼かれていた焼き物で、詳しい草創は、不明で、伊達政宗、三代目宗公など諸説がありますが、当時、陶器も磁器も焼いていましたので、創始は、秀吉の朝鮮出兵の影響があると思われます。
江戸時代には、伊達藩の御用窯として繁栄し、隆盛を極めました。その頃は、高級な染付磁器を焼く一方で、民衆向けの日用雑器も多く焼かれていました。
藩の庇護のなくなった明治時代には、すっかり凋落し、いつしか窯は廃絶ました。
1920年(大正9年)に、地元の実業家、岩渕丈之助、沼田秀平らの手によって再興が試みられましたが、失敗に終わっています。
1990年に、宮崎町(現加美町)が、町興しの一環事業として、伝統的な切込焼の復興事業が行われるようになり、現在は、三浦陶房などで、復興切込焼が焼かれています。
切込焼の特徴は、染付が主で、その他に、白磁,瑠璃,砂鉄,三彩などがあり、絵付は簡素で素朴なものが多く、三彩に名器が多く、中には、三種の青で濃淡を付けて彩色した三彩も見られます。また、胴がずんぐりとした辣韮徳利も、切込焼を象徴する代物となっています。
(記 : 2016年8月16日)
追記 :
新切込焼(しんきりごめやき)の花生を手に入れました。
大きさは、長さ:16.7p、幅:11p、高さ:6.3pほどで、共箱、共布(印なし)、栞付きです。
共箱に、作者名の「文男作」とありますが、調べた限りでは、作家名は、わかりませんでした。
栞が入っており、製作元が、宮城県の「宮崎町地域振興協議会」となっていますので、1990年代に、町興しの一環事業としての、復興切込焼として、作られたものではないか?と思われます。
花生としては、小さなものですが、見込みの翡翠色のガラス質の部分が、印象的で、メダカを入れてもいいのかな?という感じがします。
珍しいものが手に入ったと喜んでいます。
最終更新日 : 2016年11月4日
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