青木正吉(あおきしょうきち)作・八丈焼(はちじょうやき)の鉄銹釉茶碗です。
大きさは、径:13cm、高さ:9.8cmの大振りの鉄銹釉(てっしゅうゆう)茶碗で、共箱、共布付きです。
共布には、「八丈陶房」、「青木正吉」と入っています。
青木正吉さんは、元々は、映画の製作プロデューサーをやっておられて、「エラブの海」(1960年)などの製作をされた方ですが、八丈島に、別荘を持っておられ、49歳の時に、島に渡って、焼き物を始められたということです。
昭和54年にお亡くなりになっていますので、亡くなられるまでの12年間に、八丈陶房で、作陶されたということだと思います。
かつて、別の茶碗の作品も見掛けましたが、私の茶碗と同様に、胴の部分をへらで削って、アクセントが付けてありましたので、青木さんの得意の形だったのかもしれませんね。
青木正吉作・椿釉茶碗
★ 八丈焼とは ★
八丈焼(はちじょうやき)とは、東京都八丈町で焼かれている焼き物で、八丈富士の溶岩と三原山の土を原料として使われており、郷土色豊かで素朴な味わいがあるのが特徴です。
昭和42年、映画プロデューサーだった青木正吉さんが、八丈陶房を開き、その技法を習得するために、何人かが、学びに来られたようで、青木正吉さんを師とする陶芸家もおられるようです。
残念ながら、現在は、八丈陶房は、閉窯になっているようですが、空港近く「耕炎窯」で、石橋さんが、陶芸を教えてられているようです。
★ 陶工 プロフィール ★
青木正吉 【あおきしょうきち】
大正7(1918)年〜昭和54(1979)年
昭和期の
陶芸家
「エラブの海」(1960年)の製作プロデューサーでもあり、49歳で
八丈島に渡り焼き物を始める。
(記 : 2014年2月25日)
追記 :
栃木県益子町で海炎窯を開いておられる、外松(とまつ)信彦さんから、メールをいただきました。
外松さんは、昭和52〜58年まで、八丈陶房におられ、青木正吉さんの急逝により、実質最後の弟子になられた方だそうで、私の茶碗は、「溶岩釉」という釉薬の作品だと教えていただきました。
その後、唐津焼の中里隆さんにも指導を受けたそうで、現在作られているものは、中里さんの影響を受けたものが多いように感じますが、「海炎窯作品店」をご参照ください。
(追記 : 2014年3月29日)
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