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前田啓輔作・伊万里焼の香炉

これは、2006年に、地元広島で開かれた、「骨董&アンティークin廣島 」で買った伊万里焼の香炉です。







佐賀県伊万里市の、「好堅樹窯」の伝統工芸士、前田啓輔さんの作品です。

鍋島焼きの技法で作られていて、多目の白地に、シンプルな絵柄、鍋島独特の色の使い方です。

日本で磁器が作られるようになったのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、連れてきた、李参平氏が、有田町に磁土を見つけたことによりますが、カオリンを含む磁土は、日本には、少ないようで、九谷焼も、一見、磁器に見えますが、陶土を混ぜているようですし、白薩摩焼は、陶土に白化粧土を塗って白地を作っています。

有田焼は、初期のものは、コバルトを使った染付けが、多く、色絵になるまで、少し、時間が掛かっています。しかし、恐らく、中国から、釉薬が輸入されたのでしょうが、間もなく、色絵が出来るようになっています。

色絵になる過程で、有名な、柿右衛門様式が確立されて、有田焼と言えば、柿右衛門と言われるくらいに有名になりましたが、柿右衛門様式が、赤を基調としているのに対して、佐賀、鍋島藩の官窯として、青を基調にして作られたのが、鍋島焼と言われている有田焼です。

鍋島焼きは、青を基調にしていますので、上の香炉のように、青っぽい感じがします。

鍋島焼は、幕府への献上品であったり、藩の中で使われていたので、高級品として、あまり数がなかったのですが、現在は、有田町の「今右衛門窯」が鍋島焼の伝統を受け継いでいます。

         

                          代表的な鍋島焼きの作品

★ 有田焼と伊万里焼 ★

有田、三川内、波佐見(長崎県)などで焼かれた肥前の磁器は、江戸時代には積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていました。現代でも、美術史方面では「伊万里」の呼称が多く使われています。

また英語での呼称も "Imari" が一般的であり、「有田焼」と「伊万里焼」とは、ほぼ同義と考えられますが、「有田焼」は佐賀県有田町で生産される磁器を指し、「伊万里焼」はやや範囲を広げて肥前磁器全般を指すという考え方もあります。

このように、有田焼=伊万里焼という解釈が、一般的ですが、ここでは、伊万里市内や、大川内山地区の焼き物を、伊万里焼として、解釈しています。
                                           (記 : 2010年12月2日)

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