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現川焼のむさしのぐい呑み

十三代 横石臥牛氏作(臥牛窯)の現川焼うつつがわやき)のむさしのぐい呑です。





現川焼は、長崎市現川町(旧諫早(いさはや)藩現川村)で、田中宗悦により、江戸時代中期の1691年(元禄4年)に開窯された焼き物ですが、開窯後わずか約50年で、寛保年間(1741-1744)に廃窯となり、幻の器となってしまいました。

  現川焼 打刷毛目藤文角切皿(江戸期) 

 現川焼陶窯跡


江戸時代には「西の仁清」とまで謳われたことがあった、この「現川焼」を、先代である十二代目の当主が、明治になって、再興させ、以後、現川焼の可能性を極めながら、新しい作風にも挑戦し続けて、今に伝えています。

現在、現川焼 は、長崎県佐世保市臥牛窯他で、作られており、鉄分の多い茶褐色の器肌が特徴であり、多様多彩な刷毛目と加飾が施されています。

 臥牛窯

九州の土物には珍しい薄造りな器体と、鉄分の多い茶褐色の赤土に映えるリズム感に富んだ多種多彩な
刷毛目
にあります。ある時は「海」を、またある時は「幽玄な草原」を表す空間こそが現川刷毛目の新骨頂です。

また、「」をモチーフにした作品も多く、「鷺」文は、人気が高いようです。釉薬は、自家製だそうで、独特の
色合いを出しています。


                 鷺文ぐい呑

尚、長崎県には、臥牛窯の他に、2窯が、現川焼を再興させていますが、この風合いは、臥牛窯だけのもので、全国で唯一伝統を守って作品を作っています。

私のぐい呑みは、口径51(m/m) X高さ50(m/m)ほどのサイズのもので、鷺文は、入っていませんが、現川刷毛目の新骨頂である、「幽玄な草原」を表す空間が素晴らしい、「むさしの」文です。







菓子鉢などで、この文様は多く使われているようです。「むさしの」文の他に、「さがの」文も、作品の中では
ポピュラーです。

臥牛窯のホームページには、臥牛窯の名前の由来が、次のように、説明されています。

『今から四百有余年の昔、江戸時代 慶長の頃(十六世紀末)のこと。時の藩主松浦鎮信候は、木原の山峡にある藩境検分の途中、臥牛窯元祖の営む草庵で、しばらく休息をとられました。そのとき、庵の前にある小さな窯をご覧になり、その形がちょうど牛が伏せた様に見えたことで、「臥牛かな」と仰ったのです。そのお言葉を頂いて、臥牛窯と銘々し、代々襲名する事になったのです。』

現川焼は、『現川焼 十三代臥牛窯公式サイト』で、販売していますので、ネットでも買うことが出来ますよ。

 【横石臥牛(十三代)氏の略歴】

◇1925年:陶芸家横石臥牛宗雲の長男として佐世保市に生まれる。
◇1939年:14歳にして父、横石臥牛宗雲に師事、轆轤の技及び陶芸全般にわたり指導を受ける。
◇1942年:佐賀県立有田工業高等学校出身。
◇1955年:長崎県美術展に初出展し、知事賞を受賞。以後5年連続入賞、以降知事賞を3回受ける。
◇1961年:先代没後十三代を襲名以来、期するところあって一切の公募展を避け、一意専心斯道の
  研鑽に努める。
◇1962年:長崎市に於いて初の個展を開く。以後、長崎の古陶『現川焼』収集の第一人者植村不二男氏の
  全面支援を受け、現川焼の秘法の探求とその再現に日夜没頭する。
◇1974年:日本伝統工芸展に初出品し入選する、以降1998年まで通算11回入選。工芸会正会員
◇1975年:先代に続いて『長崎県無形文化財』の指定を受ける。

 13代横石臥牛氏
                                               (記 : 2009年11月2日)                                                 

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