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大堀相馬焼の抹茶碗とぐい呑み

大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)・志隆窯・志賀隆次作の抹茶碗です。





  

相馬焼(そうまやき)と言われているものには、現在の福島県相馬市田代窯相馬駒焼と、双葉郡浪江町の大堀相馬焼の二種類がありますが、前者は御用窯、後者は民窯としてそれぞれ発展し、現在に至っています。

この茶碗は、大堀相馬焼の窯元の志隆窯・志賀隆次氏の作品で、黒釉鉄釉を使った茶碗です。(大堀相馬焼の窯元は、窯元一覧 参照)

相馬焼の特徴である、走り駒の絵は、見られませんが、青ヒビは、茶碗の見込みに窺えます。

この抹茶碗、写真写りが悪いというか、オークションで買うと、思いの外、良くないものとかがありますが、この作品は、写真では、ちょっと安っぽく見えますが、逆に、届いたものは、予想以上に良かったものです。(笑)



 志賀隆次さん

下の酒壷は、典型的な大堀相馬焼で、走り駒の絵と、青ヒビが見られます。相馬焼というと、こういったデザインが有名ですから、私の茶碗は、ちょっと珍しいものですね。

   

大堀相馬焼(大堀焼)は、福島県浪江町で焼かれている焼き物で、元禄3年(1690)、奥州畑大堀村(現浪江1町大堀)の在郷給人・半谷仁左衛門(休閑)の下僕であった左馬が、中村城下(現相馬市)の相馬藩窯(田代窯)に製陶技術を学び、後に大堀村に開窯したといわれます。

大堀焼の原料には浪江町の美森山から採取した良質の粘土が用いられ、釉薬には 灰釉・糠内釉・飴釉・黒釉 などが多く使われます。作りは全体的に薄く、手取りが非常に軽いのが特徴です。

この地方は、温暖な気候と良質の陶土に恵まれ、江戸などの大消費地に近いことなどから、多くの製品を搬出しました。大堀相馬焼は碗・皿・徳利・土瓶などの日常雑器が主であり、安価で良質のため、漆器中心であった東北地方の日常食器に大きな変化を与えました。

また、製陶技術も発達し、この高い技術は製品と共に各地の窯業地に強い影響を与え、この流れをくむ窯揚として、米沢成島焼、秋田白岩焼、富山小杉焼、山形平清水焼、笠間宍戸焼、益子焼等があります。

相馬藩の保護と奨励・統制を受けながら、次第に近隣の井手村・小野田村でも生産されるようになり、さらに8カ村に広まり、嘉永年間(1848〜1853)には百敷戸の窯元を数える一大窯業地となりました。

明治4年(1871)廃藩による援助停止や鉄道の開通による販路の縮小・廃窯という事態に直面し、大正期に入ると窯元も激減しました。戦争による打撃を乗り越え、昭和53年(1978)に国の伝統工芸品の指定を受け、現在27業者の窯元によって伝統を継承し、現在に至っています。

大堀相馬焼の特徴は、下記のような3点です。

第一の特徴は「青ひび」といわれるひびが、器全体に拡がって地模様になっていることです。

第二の特徴は狩野派の筆法といわれる「走り駒」の絵で、熟練された筆使いで疾走する馬の絵が手書き
されています。

第三に挙げられる珍しい特徴は「二重焼」という構造です。入れたお湯が冷めにくく、又熱い湯を入れても
持つことができます。

  二重焼の湯のみ

一方、相馬駒焼は、寛永6年(1626)野々村仁清のもとで修行したといわれる初代田代清治右衛門によって
開窯された古窯で、現在唯一の窯として、田代窯が、伝統を引き継いでおり、当主は、15代目になります。
相馬駒焼は、明治維新までは一般には禁制品でした。また、登窯は県の重要有形民族文化財になっています。



  

上のものは、第13代田代法橋(清治右衛門)のもので、田代と法橋の2つの陶印が入っているのが特徴です。

今は、十五代 田代 清治右衛門さんが、伝統を受け継いでいらっしゃいます。
                                             (記 : 2009年11月20日)

追記 :

大堀相馬焼松永窯松永和夫作の砂鉄練り込みぐい呑みを手に入れました。









大きさは、径:5.7cm、高さ:4.7cmで、共箱付きです。福島県復興開拓舎「ふろんてぃ屋」で買いました。

福島県復興開拓舎「ふろんてぃ屋」は、復興デパートメントの支部ですが、「復興デパートメント」は、2012年2月にヤフーを中心に立ち上がった復興支援プロジェクトで、鮮魚からハンドメイド商品、個人から商店街、大人から子どもまで、復興を目指す、さまざまな人とモノが集まるインターネット百貨店です。

大堀相馬焼 は、福島県浪江町で焼かれているやきものですが、東日本大震災の福島原発事故の影響で、現在も避難地域に指定されており、大堀相馬焼は、存続の危機に瀕しています。

窯元の松永和夫さんは、現在、栃木県那須町で避難生活を送りながら、伝統の大堀相馬焼を絶やしたくないという思いから、大堀相馬焼の販売をして、復興に備えていらっしゃいます。

松永窯は、明治43年に松永茂雄さんが開窯した窯元で、三好さん、そして、和夫さんで3代目になっています。

  
                 松永窯                          松永和夫さん

私のぐい呑みに描かれている「走り駒」は、手書きのため、2つとして同じものはなく、また、見込みには、大堀相馬焼独特の「青ひび」も、上手に入っています。

福島原発の事故の映像をテレビでみるたびに、大堀相馬焼は、大丈夫だろうか?と心配です。ほんの少しでも復興の役に立ててばいいかな?と思いますが、ぐい呑み1個では、無理ですね。

せめてものお役立ちということで、福島県復興開拓舎「ふろんてぃ屋」の「大堀相馬焼・松永窯」のサイトをご紹介しておきます。興味のある方は、お立ち寄りください。
                                              (追記 : 2013年2月23日)

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