旅するところ、焼き物・骨董あり! <<<焼き物・骨董情報サイト>>>
ワインレッドをイメージしたぶどう釉(辰砂釉)のきれいな能穴焼(のうけつやき)の湯呑みです。 「茂松」の陶印 サイズは、径72mmx72mmx高さ106mmです。共箱は、紙箱ですが、自筆で箱書きされ、栞から初代林茂松の作品と判断できます。 葡萄どころの山梨にちなんで、開発した「ぶどう釉」の発色がきれいで、これが、ぐい呑みであったら・・・・と思いますが、珍しいものを手に入れることが出来たと喜んでいます。 ★ 能穴焼とは ★ 能穴焼(のうけつやき)は、山梨県韮崎市で焼かれている陶器で、古くは、天正年間にその端をなしており、武田の殿様のお庭焼だったといいます。「能穴」という窯銘は、窯場の位置が新府城の北にあった能美城の麓、穴山梅雪に縁のある地名「穴山」にあったことから付けられたということです。 現在の能穴焼 は、代々瓦職人だった初代林茂松が、1935年に、山梨にて陶芸に取り組み、「甲斐の陶芸」として大きな反響と、強い支持を受けて、再興したものです。 二代目林茂松は、1943年に生まれ、初代の急逝にともない、29歳の若さで継承し、苦難の末、フィリピンへの船旅を経て、オブジェ「深海の遺産」を発表、日本現代工芸展で受賞をかさねています。 作家が「ぶどう釉」と命名した独自の「辰砂」の技法よる作品は、郷里山梨の深く鮮やかなワインカラーを象徴しています。現在、ご子息の弘記氏と共に、作陶をされています。 2代目の作品には、オブジェが多いのですが、日用食器も作られています。 作品には、オブジェが多い 林弘記さんは、1968年山梨県韮崎市に林茂松の長男として生まれ、筑波大学を卒業後、岐阜県土岐市立陶磁器試験場に伝習生として入所し、1993年32回日本現代工芸展初入選及び第25回日展初入選。以降現在に至っています。 二代目林茂松さんと、息子さんの弘記さん 能穴焼は、オークションでも、中々、お目に掛かることが少ない焼き物です。珍しいものですので、末永く大切にしたいと考えています。 (記 :2010年4月29日) 追記 : 二代目林茂松作のぐい呑みを手に入れました。 大きさは、径:6.5cm、高さ:5cmほどのぐい呑みで、共箱、共布付きです。 能穴焼では珍しい白化粧土による象嵌模様がポイントになっている作品で、窯印は、「茂松」ではなく、「能」となっています。 能穴焼の作品は、中々、市場に出てこないのですが、このたび、集めているぐい呑みがゲットできて喜んでいます。 ★ 陶工 紹介 ★ 二代目 林 茂松 (はやし しげまつ) 1943年 韮崎市生まれ。 1973年 二代目林茂松襲名。 1978年 第17回日本工芸展/第10回日展初入選 1983年 第22回日本現代工芸展 現代工芸賞受賞 1991年 第30回日本現代工芸展 会員記念賞受賞 1995年 第34回日本現代工芸展 審査員 2000年 第39回日本現代工芸展 審査員 (追記 : 2012年4月28日) 追記 2 : 林茂松作、青白磁陶硯を手に入れました。 「茂松作」 大きさは、幅:19cm、長さ:20cm、高さ:3cmほどの陶硯(とうけん)で、共箱、共布(印なし)、栞付きです。 共箱の筆跡と、栞の内容、共箱がかなり時代を感じさせることなどから、初代茂松の作品だとわかります。 栞には、昭和44年までの陶歴が書かれており、初代林茂松は、1973年(昭和48年)頃に、お亡くなりになっていますので、お亡くなりになる前の晩年の作品 だとと思います。 石の硯の風合いを写したもので、石の硯の質感が伝わってきます。 裏面には、柿渋が塗ってあり、分厚い陶器の場合、焼いた時に割れやすいので、割れ防止の意味があるのかもしれません。本人の掻き陶印「茂松作」が入っています。 陶硯を作成できる窯は、珍しく、能穴焼で、青白磁を焼いているのも、珍しいと思われます。 珍品が手に入って、喜んでいます。 ★ 陶工 紹介 ★ 初代 林 茂松 (はやし しげまつ) 明治22年 山梨県に生まれる。 昭和6年 京都国立陶磁器試験所研究生所定課目終了。 昭和10年 東京目黒に実験窯を作り、研究。 昭和27年 現窯にて、陶芸に打ち込み始める。 昭和28年 日展初入選。以降、入選多数。 昭和48年 永眠 (追記 : 2014年12月1日)
Copyright (C) ともさんの焼き物・骨董紀行 All Rights Reserved