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赤津焼(あかづやき)の喜多窯(きたかま)、霞仙(かせん)作の織部角皿です。 大きさは、22cm×24cm程で、共箱、栞付きの、典型的な織部スタイルの角皿で、どんな料理にも合いそうなお皿を入手できて、喜んでいます。 喜多窯(きたかま)は、瀬戸焼の陶祖藤四郎、中興祖藤九郎、それらの衣鉢をついだ家祖彦九郎は、1656年(明暦二年)に分家して、現所に、窯を打ち立て、以来連綿として継承されています。 栞の「喜多窯系譜」には、陶祖の加藤藤四郎からの系譜が入っていましたが、分家して、窯を移した後の、系譜は下記の通りとなっています。(現在は、下の系譜を、喜多窯では、使用されています。) 栞から判断すると、十代の時の作品ということになりますが、十一代当主 加藤栄(上記漢字参照)吾(かとうえいご) 景元は、昭和31年(1956年)に、(有)霞仙(かせん)陶苑を設立し、独立工房制により手作りの食器の生産を始めています。そして、1991年に十一代を継いでいます。 窯印が、「霞仙作」となっていて、栞には十一代の名前がありませんので、この角皿は、霞仙陶苑が設立されてから、1991年に十一代が継承するまでの期間の作品だということになりますね。 喜多窯では、今でも、敷地内にある裏山から採れる山土を、陶土として使用されています。また、青織部には、瀬戸産の千倉長石を釉薬として使用しており、天然の含有物の微妙な作用により、釉薬表面に結晶が出る事が多いとのことです。他の産地の青織部に比べ、独特の濃い緑色が特徴になっています。 裏山から採れる山土 現在は、十二代の加藤裕重さんが、窯を継がれており、やきものの教本も出版されています。 加藤裕重さん 著書 赤津焼(あかづやき)は、瀬戸焼の一種で、愛知県瀬戸市内赤津地区で焼かれる焼物です。 瀬戸焼は、日本六古窯の一つとして知られ、1300年の焼き物の歴史を持ち、その東部の山間にある赤津地区は江戸時代、尾張徳川家の御用窯が置かれた地として知られ、茶陶を中心に地元の素材と伝統に技術を生かして焼き物作りが、受け継がれて来ました。 中でも、名古屋城のお庭焼きとして生まれた、御深井 (おふけ)をはじめとする、赤津焼伝統の七釉で彩られた作品は、昭和52年に「赤津焼」の呼称で通産省認定の「伝統的工芸品」として指定をうけ、現在も約40軒の窯元がその技術を絶やすことなく時代に合った新しい焼き物作りに励んでいます。 近年は陶芸ファンも足を運ぶことが多くなり、自然豊かな窯の里は、陶都-瀬戸の奥座敷として徐々に人気が高まって来ています。 (記 : 2010年5月26日)
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