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吉向焼の半月菓子皿

吉向焼(きっこうやき)の、万年吉文半月菓子皿です。



 







大きさは、20cmX23cm、高さ3cmで、半月型をしている菓子皿 で、共箱付きです。

吉向焼は、大阪府で焼かれている、楽焼を基本とする焼き物で、ろくろや型を用いずに土を指先でこねて作る、いわゆる手つくねの後、桶窯低火度にて焼き上げ、黒楽茶碗などを、一個ずつ木炭を燃料にフイゴを使って焼成されます。

 吉向松月窯の桶窯

その歴史については、吉向松月窯のHPより、抜粋させていただきました。(当該ページ参照)

吉向焼の初代は、伊予大洲出身の戸田治兵衛で、京都にでて陶づくりを学び、享和の始め、大阪十三村に窯を築きました。庭前の老松と生駒山にのぼる月を愛で、「十三軒松月」と号し、作陶に専念いたしておりました。

時の将軍家の慶事に際し、鶴と亀の食籠を献上致しましたところ、亀の食籠が非常に気に入られ、「亀甲」即ち「吉に向かう」にちなみ、「吉向」の窯号を賜りました。

幕末から明治にかけて窯を護った、四代松月に二子があり、兄、萬三郎が、五世吉向松月を継ぎ、弟、実蔵が、五代吉向十三軒を継ぎました。これより吉向窯は、二つに分かれます。

初代松月が、浪速の地に窯を築いて以来、200年余、各代々が種々の技術を伝統に取り入れ、吉向焼として、独自の発展をしております。


現在、吉向松月窯は、高津(現在の大阪市中央区)、枚方を経て、昭和55年交野市に移転し、平成19年から、九世吉向松月(孝造)が継承しています。

また、八代目吉向十三軒は、東大阪市で窯の火を護っています。

ということで、吉向焼には、2つの窯があるのですが、このお皿は、印が、「吉向陶荘」とあります。七世吉向松月(蕃斎)が、昭和39年に、吉向窯の発展と普及の為、吉向陶荘を創立し、七世松月デザインにて美術品の量産のできる新窯を創設されていますので、その窯の作品ですね。

お茶をいただく時の、菓子皿として、形も気に入っていますし、大きさも丁度良いので、お茶の席で、使用したいと思っています。
                                             (記 : 2010年6月26日)

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