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小砂焼のぐい呑み

藤田製陶所5代藤田真一作、小砂焼(こいさごやき)のぐい呑みです。

小砂焼のぐい呑み





 

 「真」の陶印

大きさは、直径8cm×高さ4.5cmほどで、共箱、栞付きです。

藤田製陶所の十八番の金結晶ものではありませんが、このぐい呑みに、金結晶の上薬を掛けたのでは、ちょっと品がないというか、このままの方が、渋みと優雅さが感じられるのでは?と思います。

藤田製陶所は、明治時代に、民窯になって以来、唯一、小砂焼を継承している窯で、現在、5代目の藤田真一さんが、代表を務めていますが、5種類の鉱物を混ぜ合わせて出来た金結晶という金色の釉薬の作成に成功し、小砂焼と言えば、「黒釉に黄金色の結晶斑点」という特徴で、知られるようになっています。

 藤田真一さん(56)

下の茶碗は、黒釉に金結晶の特徴を表しているものですが、見方にもよりますが、ちょっと、けばけばしい?かな?(笑)



 黒釉の上に、金結晶釉を掛けた代表例

小砂焼は、栃木県那須郡那珂川町小砂で焼かれている焼き物で、焼物が製造された歴史は古く、平安時代の須恵器を焼成した窯跡が発見されています。

1830年(天保元)水戸第9藩主徳川斉昭(烈公)が、小砂に陶土を発見し、水戸藩営製陶所の原料陶土として使われたのが輿りと伝えられており、その後、嘉永四年(1851)、「御用瀬戸」として開かれました。

民窯では、後年小砂村の斉藤栄三郎が窯を築いて製陶を始めたのが、この地の焼き物の歴史の始まりとも言われ、又、水戸藩が那珂湊に鉄の精錬用の反射炉を建設することになり、嘉永7年(1854)、反射炉用の耐火煉瓦を焼くために小砂の村役、大金彦三郎が瀬戸場を設けて、耐火煉瓦と共に、一般雑器も焼始めたのが最初ともいわれています。

明治になり、磁器の生産も始め、一時は、益子焼を凌ぐ勢いで、栄えましたが、交通の便が悪いため次第に衰退し、藤田製陶所1軒のみになったこともあります。

その後、昭和40年代に、10軒ほどの窯元が復活し、窯元の数も増え、活気を呈しつつあり、土地の凝灰岩を使った小砂青磁の和洋食器を主とする国山窯、磁器の朱雀窯、益子で修行し、うわぐすりを使用しない、日本古代の焼物を追求した川井窯、現在陶芸教室も行っている市川窯、他数件の窯元が存在します。

オークションでは、湯呑みは、多く出品されていますが、ぐい呑みは、あまり見かけませんので、良いものをゲットできたと喜んでいます。
 
                                             (記 : 2010年7月2日)

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