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越前漆器の祝儀盆

越前漆器(えちぜんしっき)の祝儀盆・黒無地8号です。









大きさは、長さ:24cm、幅:17cm、高さ:1.8cmで、天然木製、黒漆呂色仕上げで、紙共箱付きです。

祝儀盆 とは、切手盆ともいい、金封やご祝儀などを贈るときに使用し、金封や帛紗を地面に置かないためのお品です。広蓋(ひろぶた)に比べると略式に なります。

越前漆器は、400軒近い漆器関係企業が集まり、漆掻き、木工、下塗り、上塗り、絵付けの各工程は完全な分業制となっていますので、所謂、作家ものが少ない漆器です。

この祝儀盆も、分業制によって、同じ規格のものが製造されているものの1つだと思います。

元々は、祝儀盆、切手盆として作られたものですが、大きさから、料理を盛る平皿として使うとお洒落だと思いますし、花瓶の敷板として使うのも良いかと思います。

★ 越前漆器 ★

越前漆器(えちぜんしっき)は、福井県鯖江市河和田(かわだ)地区を中心とする地域で作られている漆器で、河和田塗(かわだぬり)の名でも知られています。

伝承によると、古墳時代の末期にあたる6世紀に、第26代継体天皇がまだ皇子のころ、こわれた冠の修理を、片山集落 (現在の福井県鯖江市片山町)の塗師に命じられました。塗師は、冠を漆で修理するとともに、黒塗りの椀を献上したところ、皇子はその見事なできばえにいたく感動し、片山集落で漆器づくりを行うよう奨励し、これが今日の越前漆器の始まりとされています。

この地は、古くから良質の漆が取れたことから、たくさんの「漆かき」がいました。漆かきとは、漆の木にかき傷をつけながら漆液を採集する職人のことで、最盛期には、全国の漆かきの半数を占めたといわれています。その豊富な漆を使った漆器作りを生業とするものが出てきたのが、始まりと言えるのでしょう。

越前地方は、浄土真宗の布教の盛んなところで、室町時代の頃から、報恩講 などの仏事に、片山椀と呼ばれる三つ椀が、盛んに使われるようになり、越前漆器も発展しました。

また、江戸末期になると京都から蒔絵師を招き、蒔絵の技術を導入し、輪島からは沈金の技法も取り入れて、越前漆器は、それまでの堅牢さに加え、華麗な装飾性を帯びることになりました。

明治の半ばには、一挙に製品群は多様化し、こうした多様な製品群を背景に、量販体制を整備しながら、旅館やレストランなどで使う業務用漆器の販路開拓に乗り出したところ、これが見事に成功し、今では、全国の飲食店や旅館などで使われる業務用の8割は、越前漆器となっており、400近い漆器関係の企業や工房があって、日本の漆器産業の一大産地となっています。

越前漆器の特徴は、下地作りに、「渋下地(しぶしたじ)」を行うことです。渋下地は、渋柿をつぶして発酵させしぼった柿渋に、炭粉を混ぜたものを繰り返し塗る方法で、柿渋には、防水や防腐効果があり、昭和20〜30年頃には、柿渋作り専門の職人がいたそうです。

渋下地は、工程が簡単で、多くの漆器を作るのに適し、丈夫で長持ちし、比較的に求めやすい価格なのが魅力的で、業務用漆器としての需要が高いのがうなずけます。

上塗りは、花塗り、又は、呂色塗りで、花塗りは、しっとりとなめらかな塗り肌、呂色塗りは、鏡のように透明な艶が特徴です。

 花塗り

 呂色塗り

尚、素材は、天然木、木合(木の粉に樹脂を混ぜ、型を使って固めたもの)、合成樹脂などがありますので、天然木の漆器を求められる方は、素材の表示を確認することが大切です。
                                                (記 : 2015年2月1日)

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