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エピソードと共に、その起源や、特徴を、ご紹介しています。意外な場所に、
意外な、お宝があるものです。画像と共に、うんちくも、お楽しみください。 

涌井弥瓶作・新庄東山焼の花瓶

新庄東山焼(しんじょうひがしやまやき)の、五代涌井弥瓶(わくいやへい)による、みどり釉壷です。







箱書きは、「壺」となっていますが、「花入れ」の方が、適当かな?と思います。大きさは、高さ22cmほどあり、共箱、栞付きです。

箱書きに、「みどり釉」とあり、明るい緑色が爽やかな印象の器です。

新庄東山焼(しんじょうひがしやまやき)は、山形県新庄市で焼かれている焼き物で、1841年に戸沢藩御用窯として、初代涌井弥兵衛氏が創業しました。新庄市東山に豊富にある良質な陶土を使い、「出羽の雪のかげり」と呼ばれる味わいのある鮮やかな青い色のなまこ釉が特徴的です。なまこ釉の他には、みどり釉、白釉などがあります。

その後、二代弥瓶の時には、磁器の焼成にも成功しており、明治以降は、民窯として、三代〜五代弥瓶へと、一度も途切れることなく受け継がれ、現在は、五代弥瓶の長女・賀代子さんの娘婿の六代目の涌井正和 さん(57)、長男で七代目の大介さん(29)、二男の良さん(26)の3人が、それぞれ個性あふれる作品を、製作されています。

六代目の涌井さんは「伝統を守りながら機能性と美しさにこだわり、時代に合う物を作っていくことが大切。飾るのではなくて使ってほしい。同じ土、同じ温度で焼いても、みんな違う。3人の性格が出てますよ」と話されています。また、最近は、天目釉や、焼き締めものもあります。



 
                    作陶中の涌井正和さん    

   
                  展示室の作品の数々

新庄東山焼の作品は、中々、市場に出て来ず、やっとゲット出来ました。同じ、山形県の平清水焼の「残雪」にも似ていますね。(「平清水焼の花挿し・ぐい呑み 」参照)

詳しくは、新庄東山焼のオフィシャルホームページをご参照ください。

■ 作家 プロフィール ■

五代 涌井 弥瓶
 (わくい やへい)

昭和4年7月5日、山形県鮭川村に生まれる。
昭和50年、五代・弥瓶を襲名。
昭和56年、第37回山形県総合美術展において油滴天目釉壷が入賞、山新賞を受ける。
昭和61年、卓越した技能者として山形県知事より表彰。
平成元年、芭蕉乗船の地・本合海に「芭蕉と曽良」の等身大の陶像を建立、感謝状。
伝統的工業品産業振興会より全国表彰。
観光産業と地域経済化に寄与した功により、山形県知事表彰。
新庄地区物産協会長としての尽力した功により、あじさい表彰を受ける。
                                               (記 : 2011年7月21日)

追記 :

2011年6月21日付の山形新聞の記事を見つけました。五代涌井弥瓶さんは、80歳を超えても、ご活躍のご様子ですね。ご参考まで。

 『新庄市東山の陶芸家涌井弥瓶さん(81)が、新庄藩戸沢家の氏神で新庄まつりとゆかりの深い「新「荘天満宮」に奉納するため、新庄東山焼の陶像「なで牛(べこ)」を作った。牛全体が黒光りし、銀色の丸い斑文がくっきりと浮かび上がり、神秘的な文様の“神牛”に仕上げた。25日の天満宮竣工(しゅんこう)祭でお披露目される。

 出来上がった「なで牛」は、全長1メートル、高さ約40センチ。重さは20キロほど。油滴天目釉(ゆてきてんもくゆう)を使ったことで牛全体が黒く輝き、表面には油の滴のように小さい斑文が全体に現れ、銀色に輝く。涌井さんは「3作目でようやく納得できる作品ができた。神牛らしく光沢のある文様で、迫力のある陶像になった。職人としての誇りも発揮できた」と満足そう。』
                                            (追記 : 2011年7月24日)

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