人間国宝の13代今泉今右衛門作の鍋島焼の飾り皿です。
典型的な今右衛門窯の飾り絵皿で、かつてから、欲しくて仕方がなかったのですが、やっとうまく手に入れることが出来ました。
大きさは、径17cmほどで、共箱付です。花文様は、「葵」で、夏の花文様です。
今右衛門窯は、柿右衛門窯、源右衛門窯と共に、有田焼の伝統を受け継ぐ、有名な窯で、佐賀県有田町にあり、有田陶器市の際に一度、訪れたことがあるのですが、値段が高くて、手が出ませんでしたので、今回、手頃な価格で、手に入れることが出来て、うれしい限りです。
今右衛門窯は、大きな意味では、有田焼の窯元ですが、下記の歴史があって、鍋島焼(なべしまやき)の窯元とも言われています。(以下、「色鍋島 今右衛門」のホームページより引用)
『文禄・慶長の役後、李参平を始めとする李朝の帰化陶工団により有田泉山の地で良質の陶石が発見され、1610年代に日本で初めての磁器が有田で焼かれました。その後1640年代に中国より赤絵(色絵)の技法が伝わり、その頃より初代今右衛門も赤絵付の仕事をしたと思われます。17世紀後期には有田皿山の窯元は150軒前後で、赤絵屋は寛文年間に有田内山に11軒(後に16軒)を集結し赤絵町が形成され、鍋島藩の保護のもとに置かれました。その中でも最も技術の優れた今泉今右衛門家が藩の御用赤絵師として指名され、藩窯の色絵付を下命されました。
鍋島藩窯では、市場に全く出さない献上品・贈答品・城内用品の磁器を制作させるため、藩主の命を受けた「陶器方役」として優れた陶工31人を選び造らせ、色絵付は今右衛門家が行いました。
江戸時代が終末をつげ明治になると、鍋島藩窯がなくなり御用赤絵屋の制度も消滅しました。その反面、一貫した磁器生産が可能になり、十代今右衛門は、明治6年に本窯を築き、色鍋島をはじめ一連の古伊万里様式の磁器の製造に踏み切りました。時代の転換期に当たり、伝統の技術を継承することに懸命であったのはいうまでもなく、明治より大正初期にかけて技術的にも、経営的にも苦難の日々でしたが、その苦境を乗り越え、優れた赤絵の技法を確立しました。
十二代は研究心深い陶工気質の肌で、近代色鍋島の復興に生涯を捧げた名工といえます。十代、十一代の教えの中で、御用赤絵屋の家門を継承し、昭和15年には、商工省の技術保存の指定を受けています。特に、肥前古陶磁の時代考証や鑑査に当たっては、鋭い鑑識眼の持ち主でもありました。
また、昭和46年には色鍋島技術保存会の代表として、国の重要無形文化財の総合指定を受けました。
十三代は、若い頃から創作的な色鍋島の制作に取り組み、現代の角度からの色鍋島に意欲を燃やしました。昭和50年、十三代を襲名し、改めて「色鍋島今右衛門技術保存会」をつくり、重要無形文化財の総合指定を受けました。また、十三代らしい作品をと研鑽に努め、染付吹墨・薄墨吹墨の技法を確立し、その作品は伝統工芸展での優秀賞、日本陶芸展での秩父宮賜杯、毎日芸術賞、日本陶磁協会金賞を受賞するなど高い評価を得、平成元年には、重要無形文化財「色絵磁器」保持者(いわゆる人間国宝)の認定を受けました。
十四代は、平成14年に十四代を襲名し、「色鍋島今右衛門技術保存会」の会長となり鍋島の代々の仕事を継承しています。
十四代今泉今右衛門さん
また、江戸期からある染付の中に白抜きの文様を作るときに用いる「墨はじき」と呼ばれる技法に着目し、「藍色墨はじき」「墨色墨はじき」、更には墨はじきを重ねていく「層々墨はじき」、微妙な白の雰囲気の「雪花墨はじき」と意欲的に作品づくりに励み、品格の高い、現代の色鍋島をつくりだしています。』
というように、今泉今右衛門家は、鍋島藩の専属絵付師だったわけで、柿右衛門様式とは、少し違った鍋島様式を確立し、鍋島藩の御用焼として、「市場には出ない焼き物」として、鍋島焼を作ったということです。
ですから、厳密に言えば、鍋島焼は、廃藩置県で、終わったということになりますが、その絵付け技法を、
継承した
今右衛門窯が、鍋島焼の継承者とされているようです。
尚、藩窯であった頃、色絵付け以外の鍋島焼の製作に当たっていた、伊万里市大川内山にある、焼き物の里は、伊万里鍋島焼として、1つの焼き物の里を形成しています。「川副青山作・伊万里鍋島焼のぐい呑み」をご参照ください。
色鍋島の文様
は、季節により、下のような花文様があります。
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桜 |
梅 |
蘭 |
橘 |
苺 |
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芙蓉 |
牡丹 |
葵(あおい) |
露草 |
鉄仙(てっせん) |
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薔薇 |
菊 |
藤袴(ふじばかま) |
柘榴(ざくろ) |
竜胆(りんどう) |
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葡萄(ぶどう) |
万年青(おもと) |
南天 |
柿 |
松 |
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竹 |
桃 |
松竹梅 |
松竹梅 |
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● 作家 プロフィール ●
13代
今泉今右衛門 重要無形文化財(人間国宝)
1926年(大正15年) 12代今右衛門の長男として生まれる
1949年(昭和24年) 東京美術学校(現東京芸大美術部)工芸科卒業
1989年(平成元年) 重要無形文化財個人指定(人間国宝)に認定
日本陶磁協会金賞受賞
1992年(平成4年) 国際陶芸アカデミー名誉会員に推挙される
1993年(平成5年) 佐賀県立有田窯業大学校校長就任
1995年(平成7年) 国際文化交流に対し外務大臣表彰
1998年(平成10年) グッドデザイン賞審議委員に就任
1999年(平成11年) 勲四等旭日小綬章受章
2000年(平成12年) 日本工芸会副理事長に就任
2001年(平成13年) 10月13日死去
私のものは、「葵
」文様ですが、ちょっと余白が多いかな?(笑)とは、思いますが、人間国宝の作品ですので、末永く大切にしたいと思っています。
(記 : 2010年1月17日)
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