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潤甫作・屋島楽焼の茶碗

潤甫作、屋島楽焼茶碗です。













大きさは、口径:11cm、高台径:5cm、高さ:7cmほどの楽焼の茶碗で、共箱付きです。

飴釉をどっぷりと全体に掛けたあと、白釉を流し掛けています。高台内には、「屋島」の陶印が入っています。

作者の「潤甫」ですが、共箱が結構、新しく見えますので、香川県出身の、元高松琴平鉄道(コトデン)社長の大西潤甫(おおにしじゅんすけ)さんではないか?と思います。(あくまで、私見です。)

大西さんが、陶芸をやっていたという記事は、どこにもありませんでしたが、この楽茶碗以外にも、同様の茶碗をネットで見つけていますので、2004年、79歳でお亡くなりになる前に、作られていたのではないか?と思っています。

2001年、コトデンは、経営破たんして、大西さんは、会長職を辞任していますので、その後の、隠居生活で作ったものか?、或いは、社長、会長時代から、窯元に行かれて、焼かれていたのではないか?と思われます。屋島焼の復興を願って、始められていたのかもしれませんね。

下の茶碗が、ネットで見つけた同様の茶碗で、「屋島」の印が入っています。同じ作者のものと思われます。





★ 屋島焼とは ★

屋島焼は、香川県高松市で焼かれていた焼き物で、源内焼の流れを汲む焼物といわれています。香川県平木村で製陶活動を行っていた初代三谷林叟が、文化2年ごろ、屋島の西潟元村に移って屋島焼を始めたと言われています。

江戸時代には、高松藩の御用焼で、楽焼の手法を加味してつくった交趾風の焼き物でした。以来5代の「林叟」により焼き続けられましたが、昭和18年頃に、廃窯になっています。

林叟屋島焼は、抹茶・煎茶道具や文人趣味の道具、また酒器などが知られており、本来は手捻りで表現される歪みなどまで、土型による型成形で作られているのが特色です。(「屋島焼のぐい呑み」参照)

一方、久保祖舜(そしゅん)が、,高松市浜ノ丁(町)において、明治38年頃からはじめたとされる祖舜焼にも、「屋島」の陶印が使われていて、祖舜屋島焼と言われています。1921年に、80歳で没し、子の富三郎が業を継ぎ、主として抹茶碗・ 水指などをつくりました。

ネットの画像検察で見つけたのが、下の画像ですが、作風は、まさしく祖舜焼で、「屋島」の陶印がありますので、実際に、「屋島」印が、使われていたことが伺えます。(「祖舜」の銘が入っているものも見受けられます。)



尚、久保祖舜は、明治のはじめ、中桐絢海(けんかい)に協力して、小豆島の神懸山(寒霞渓)の麓に陶窯を築き、神懸(かんかけ)焼の初代として、茶陶器の製造を初めていました。(「神懸焼の蓋置」参照)

いずれの屋島焼も戦前に途絶えています。

★ 屋島楽焼作家? プロフィール ★

 大西 潤甫(おおにしじゅんすけ)

1925年  香川県木田郡三木町に生まれる
1948年  早稲田大学商学部卒業。高松琴平電気鉄道入社。
1968年  高松琴平電気鉄道社長就任
1991年  コトデンそごう社長
2000年  高松琴平電気鉄道社長を千田穣一に譲り、会長に就任。
2001年  コトデンそごう破綻、高松琴平電気鉄道破綻に伴い会長職辞任
2004年  心筋梗塞により、死去。79歳。
                                                 (記 : 2014年6月25日)

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