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漆器(漆工芸)のはなし

漆器は、英語で「japan」といい、欧米では、日本の特産品と考えられてきました。多くの文化が、中国から入ってきていることもあり、漆器は中国が発祥地で、漆器の技術は、漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていましたが、北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から、中国の物を大幅に遡る、約9000年前の縄文時代前期の漆器が見つかり、また漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認されました。このことから、現在では、漆器の起源は日本であるという考えが一般的になっています。

漆の木は、インド以東の東洋でしか育たなかったことから、その文化もこの地域に限定されます。「漆」は、中国語の漆を、そのまま、日本でも使っていますが、何故「うるし」と発音するのか?は、諸説がありますが、よくわかっていません。

現在、漆工芸品は、日本各地にありますが、意外と知られていないが、現代の漆工芸の中心は、江戸漆器の伝統を引き継ぐ、東京であるということです。

漆芸は、陶芸と違って、原材料(陶芸では、陶土)の有無に左右されることが少なく、漆の木は、どこでも育ちます。そうなってくると、需要の多いところや、お金持ちの多いところに近いことが有利になり、特注品も作りやすくなるというメリットが出ています。

そういう理由から、かつては、京都だったNo1の座を、現在では、東京が奪い取っています。

ちょっとページが長くなりましたので、目次をつけておきます。

目  次  

日本各地の漆工芸

漆器の装飾法 

  春慶塗(しゅんけいぬり)
  根来塗(ねごろぬり)
  輪島塗
  津軽塗
  若狭塗(わかさぬり)
  会津塗
  山中塗(やまなかぬり)
  金沢漆器
  京漆器
  江戸漆器
  香川漆器
  琉球漆器
  村上木彫堆朱(むらかみきぼりついしゅ)
  八雲塗(やくもぬり)
  秀衡塗(ひでひらぬり)
  大内塗(おおうちぬり)
  浄法寺塗(じょうほうじぬり)
  紀州漆器(黒江塗)
  奈良漆器
  川連漆器(かわつらしっき)
  宮崎漆器
  高岡漆器
  蒔絵(まきえ)
  漆絵(うるしえ)
  螺鈿(らでん)
  平文(ひょうもん)
  彫刻塗(ちょうこくぬり)
  

  彫漆(ちょうしつ)
   堆朱(ついしゅ)
   紅華緑葉(こうかりょくよう)
   屈輪(具利)彫り(ぐりぼり)
   沈金(ちんきん)
   蒟醤(きんま)
   存清(ぞんせい)

■ 日本各地の漆工芸 ■

日本各地の遺跡から、かなり昔(縄文時代)から漆器が存在していたことがわかっていますが、現在の日本の漆工芸は、奈良時代からの京漆器の技法が、近世(江戸時代)に、諸藩の奨励のもとで、特産化したものが多くなっています。その中から、幾つかの漆工芸を取り上げて、その特徴をまとめてみたいと思います。


★ 春慶塗 ★

春慶塗(しゅんけいぬり)は、特定の地域の工芸品ではありません。

春慶漆(しゅんけいうるし)」と呼ばれる、透明度の高い上塗専用の透漆(すきうるし)を使って、塗立て(塗りっぱなしで仕上げたもので、研磨しない)たもののことです。

檜や欅の木目の美しい天然材で、素地を作り、これに「春慶漆」を塗り立てし、木目を美しくあらわしたもので、器肌に雌黄であらかじめ着色した上に、透明の春慶漆を塗り立てて作ります。

産地としては、堺春慶(大阪府堺市(発祥の地))、飛騨春慶(岐阜県高山市)、能代春慶(秋田県能代市)、粟野春慶(茨城県城里町(旧桂村))などが有名で、その他、各地で行われています。

飛騨春慶



上の春慶塗は、管理人の所蔵品で、飛騨春慶の中次です。琥珀色の透き漆による仕上げがきれいです。

飛騨春慶(ひだしゅんけい)については、「飛騨春慶の中次」の記事をご参照ください。

 根来塗 ★

根来塗(ねごろぬり)は、日本の塗装技法の一種であり、一般に、黒漆による下塗りに朱漆塗りを施す漆器のことで、名称は和歌山県の根来寺に由来します。主に、朱塗りのものですが、黒根来といって、黒漆のみのものもあります。また、文様は付けず、朱、又は、黒の塗立て(塗放し)のみです。

根来塗の器胎は、主に檜で、その上に、本地、または、本堅地をして、黒漆を数回塗り重ね、最後に、朱漆を、1回だけ、塗立て(塗放し)したものです。

年月を経ると、朱漆が、「摩滅」することにより、黒漆の斑紋があらわれ、それが、茶人や当時の人たちに受けて、評判になり、このような塗り方の漆器を根来塗というようになりました。

元々、根来寺で、自家用の仏具や、接客用の食器、家具類を片手間に作ったのが、始まりと言われていますが、中世の初め頃、根来寺は、勢力を持っていましたが、豊臣秀吉に反抗したため、秀吉に攻められて一時潰滅しましたが、四散した僧侶たちが、各地で復興しました。

しかしながら、「古根来(こねごろ)」といわれる、秀吉討伐以前のものには、及ばず、根来塗は、時代を経ると共に劣化していったようです。

根来塗は、技法の1つですので、特定の産地の漆器ではなく、紀州漆器、京漆器、越前塗、奈良根来、山中塗、会津塗等の漆器の産地で、現在も作られています。



上の椿皿は、管理人の所蔵品で、京根来と思われる根来塗 です。「根来塗?の椿皿」をご参照ください。

★ 輪島塗 ★

現在、知名度ではNo1なのが、この輪島塗ではないか?と思われます。石川県輪島市を中心とする地域で作られている漆器で、厚手の木地に、生漆と米糊を混ぜたもので、麻布や寒冷紗を貼って補強し、生漆と米糊、そして焼成珪藻土(地粉)を混ぜた下地を、何層にも厚く施した「丈夫さ」に重きをおいて作られている漆器です。

この地方の漆器の生産は、かなり古くまで遡るとみられており、七尾市の遺跡からは、6800年前の漆器が発掘されています。現在のような輪島塗の技術が確立したのは、江戸時代の寛文年間(1661年〜1673年)と考えれており、沈金のはじまりが、江戸享保年間(1716年〜1736年)、蒔絵のはじまりが、江戸文政年間(1818年〜1829年)からだと考えられています。

最大のポイントは、県外移出を許されていない「地の粉山(じのこやま)」という山に、下地専用に使われる土が採取される点です。この地粉(じのこ)を使って、塗り重ね、「本堅地(ほんかたじ)」にすることで、大変、堅牢な漆器になります。

元々、輪島塗は、農民や庶民の生活道具でしたので、不格好で、分厚いものでしたが、その後、沈金、蒔絵の技法も加えられるようになり、近世の前田藩主の奨励もあって、高度に発展し、現在の名声を得るようになっています。

  
 当たりの部分を麻布で補強       地粉を塗って、本堅地に      下、中、上塗りを掛けて完成



上の酒器は、「坂下光宏作・輪島塗のぐい呑み」で、管理人の所蔵品です。呂色仕上げをしないで、塗り立てて、ソフトな艶を出しています。輪島塗の詳しい説明を追加していますので、ご参照ください。

★ 津軽塗 ★

津軽塗は、俗に馬鹿塗(ばかぬり)ともいわれる、青森県弘前(ひろさき)を中心に作られている漆器で、江戸時代前期の寛文年間(1661年〜73年)に、津軽藩が、若狭より、塗り師池田源兵衛を召し抱えたことから始まったとされています。

特徴は、その模様で、最初に漆ででこぼこの地を作った上に、数回も各種の色漆を塗り重ね、最後にまっ平らになるまで研ぎ出すと、でこぼこの谷間に残っている漆が断層を表すようになって、斑模様を作り出します。

しかし、この技法を使うと、素地が堅いため、研ぎ出すのが、大変でしたが、津軽特有の天与の砥石が県内で産出され、この砥石のお陰で手間が著しく軽減されたことが、津軽塗の名声を支えていられるわけということです。



上の津軽塗は、漆器では少ない「津軽塗のぐい呑み」で、管理人の所蔵品です。津軽塗の技法の「唐塗」で仕上がられていて、黒漆の下地から、石黄、赤漆、緑漆の層が研ぎ出されて、独特の文様を描き出しています。

★ 若狭塗 ★

若狭塗は、福井県小浜市を中心とする地域で作られている漆器で、特に塗り箸が有名で、全国の80%のシェアを持っています。江戸初期の慶長年間(1596年〜1641年)に、小浜藩の漆塗り職人の松浦三十郎が、考案したのが始まりとされています。

手法は、津軽塗に似ていますが、色漆を塗り重ねる過程で、卵の殻貝殻を粉末にしたものを、ところどころに蒔きつけておくところに特徴があり、色漆や、透漆を重ねて、最後に研ぎ出すと、卵の殻や、色漆が、透漆の中から現れるというわけです。

下の若狭塗の棗の白い部分が、卵の殻の部分です。変化に富んだ模様になっています。

また、色をより派手にするために、金箔を箔置きしたり、銀粉や、錫粉を蒔いたりすることもあります。


                        
上の若狭塗は、「若狭塗螺鈿細工扇文煙草入 」で、管理人の所蔵品です。白い部分は、卵の殻ですが、意図的に、「扇文」が出てくるように工夫され、青く見える部分は、青貝も撒かれていて、螺鈿の技法も使われています。

★ 会津塗 ★

会津塗は、福島県会津若松市を中心とした地域で作られている漆器です。この地方でも、かなり昔から、漆器が作られていたようですが、1590年(天正18)蒲生氏郷(がもううじさと)が領主となり、故郷の近江(おうみ)国(滋賀県)から、木地師や塗師(ぬし)を多数移住させ、塗大屋敷とよぶ伝習所で漆器の産業化を図ったのを、現在の会津塗のはじまりとしているようです。

江戸中期頃までは、良質の漆器を生産していたようですが、明治以降は、産業化を目的として、見栄えの良い、安価なものを生産するようになっているようです。

特に、素人にはわからない、下地部分で、「紛下地(まがいしたじ)」と呼ばれる、漆を使わず、柿渋や膠や米糊を代用した下地に、漆で上塗りされているため、漆が剥げ落ちてしまうことがあります。

技法には、螺鈿・漆絵・乾漆・蒔絵・花塗り など多岐にわたる技法があり、そのことが、逆に特徴を失っている感もあります。戦後は、プラスチックを使った、合成漆器の生産にも成功し、今では、「電子レンジや食器洗い機で使える」漆器も作っています。



会津塗の洗朱ぐい呑みです。「会津塗のぐい呑み 」をご参照ください。

★ 山中塗 ★

山中塗(やまなかぬり)は、石川県加賀市山中温泉地区で作られている漆器で、歴史は、安土桃山時代の天正年間(1573年〜1592年)に遡るといわれています。昔から、挽物類の上手なところで、木地師としては初めて人間国宝に認定された、川北良造氏など多数の木地師を擁し、全国一の木地轆轤挽き物産地であり、輪島など他産地への木地提供も行っています。





上の酒器は、ちょっとエッチな雰囲気ですが、山中塗と思われる宴遊盃(えんゆうはい)です。「山中塗?の宴遊盃」に、山中塗の詳細がありますので、ご参照ください。

 金沢漆器 ★

金沢漆器に関しては、「金沢漆器(能作)のぐい呑み」の記事を、ご参照ください。



★ 京漆器 ★

京漆器(きょうしっき)に関しては、「村田好謙作・京漆器の盃」の記事をご参照ください。



★ 江戸漆器 ★

江戸漆器は、東京都台東区、中央区を中心とする地域で作られている漆器で、1590年に江戸に入城した徳川家康が京都の漆工を招いたのが江戸漆器の始まりと言われ、更に各地の優秀な漆工を招いて腕を競わせて、より良い漆器を制作しました。

将軍家への献上品や大名家の嫁入り道具の他、享保年間(1716年〜1735年)以降は、庶民の日用品としても普及し、江戸の食文化に必要な、蕎麦道具や、うなぎの重箱等、業務用の漆器の生産も盛んでした。

現在では、業務用の漆器の他に、茶托(ちゃたく)、銘々皿、茶入れ、鏡台、手鏡、かんざしや香合など、さまざまなものを制作しています。

 江戸漆器

★ 香川漆器 ★

香川漆器(かがわしっき)とは、香川県高松市を中心とする地域で作られている漆器で、「高松漆器」、「讃岐漆器」とも呼ばれます。

江戸時代前半の寛永15年(1638年)に、水戸徳川家から高松藩に入封した松平頼重が、漆器や彫刻に造詣が深く、これを振興したことに始まります。江戸時代末期、玉楮象谷(たまかじぞうこく)は、大陸伝来の彫漆(ちょうしつ)、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)などの研究から独自の技法を創案し、やがて香川漆芸の礎を築きあげました。

現在では、彫漆、蒟醤、存清、後藤塗、象谷塗(ぞうこくぬり)の5つの技法が、国の伝統的工芸品に指定されています。

 蒟醤の香合


           左が象谷塗(ぞうこくぬり)、右が後藤塗(ごとうぬり)

蒟醤(きんま)の技法は、中国の沈金の影響を受けて、タイで確立された技法が日本に伝えられたものと考えられ、キンマと言う言葉も、現地のコショウ科の常緑つる性植物の「キンマ」から来ているとされています。

キンマ キンマ

上のキンマは、ミャンマー漆器のもので、2013年6月にミャンマーを訪れた際に買ったものです。ミャンマーでは、漆器産業が盛んで、大物の食器や、家具に至るまで、蒟醤(きんま)の技法を使ったものがたくさんありました。(「ミャンマー漆器のぐい呑みと香合」参照)

上記で紹介している香川漆器の蒟醤の香合と、良く似た蒟醤の香合を手に入れることが出来ました。タイのキンマについても、付け加えていますので、「香川漆器・蒟醤(キンマ)の香合」をご参照ください。



★ 球漆器 ★

琉球漆器(りゅうきゅうしっき)は、沖縄県那覇市を中心とした琉球諸島で発達した漆器で、14世紀から始まった中国へ貢ぎ物を送る貿易とともに、中国からその技法が伝わり、発達したものと考え られていますが、創始の経緯ははっきりとしていません。

17世紀初頭には、首里王府に貝摺(かいずり)奉行所という漆器の製作所 が設置され、技術的にも芸術的にも水準の高い工芸品を作るようになりました。

1609年には、薩摩が琉球へ侵攻し、その支配下に置かれましたが、その高い芸術性故に、徳川家や大名家、中国(明、清)皇帝へ、琉球漆器を献上してきした。

琉球漆器の特徴は、次の3点です。

1.漆器に使われる材木に、「梯梧(でいご)」という内地では見られない材料を使っていること。

2.下地に、豚血(とんけつ)を利用することで、豚血を地粉と練って、下地とします。

3.上塗りの色が鮮明で、堆錦(ついきん)という加飾法があること。

堆錦という加飾法ですが、どこかで見たことがあると思ったら、イギリスのウェッジウッド社の、「ジャスパーウエア」と同じような手法ですね。(ジャスパーウエアは、「マイセンと柿右衛門」を参照)



上の飾り皿は、管理人所蔵の創業120余年の歴史を持つ、「角萬」製の「黒堆錦鳳凰紋丸盆」です。(「琉球漆器の堆錦鳳凰紋丸盆」参照)

黒漆の地に、朱漆は、特産の粘土(クチャ)粉にボイル桐油(とうゆ)を混合したものを用いてもので、この桐油を混ぜることで上塗りの朱漆(しゅうるし)をより鮮明に発色させる効果があるそうです。それに、堆錦の加飾がなされており、素晴らしい美術品となっています。

尚、尚家が、琉球王として栄えた17世紀には、螺鈿細工 に特色のあるものがあり、ソマタ、又は、杣田(そまた)と称する螺鈿技法があり、東道盆(トゥンダーブン)と呼ばれる、琉球王国の宮廷料理を 盛りつけるための器などが作られました。

中国、北京の故宮博物館には、琉球国王から中国皇帝へ献上された、複雑な漆芸技法による螺鈿(らでん)と、堆錦(ついきん)の東道盆(トゥンダーブン)2点が保管されているそうです。

 東道盆(角萬)

1879年の琉球処分(廃藩置県)以後、貝摺奉行所は廃止され、琉球漆器は、民間工房や漆器会社による、一般向けの食器やみやげ物として制作される事が多くなってきています。

 村上木彫堆朱 ★

村上木彫堆朱(むらかみきぼりついしゅ)については、「村上木彫堆朱?の漆硯」をご参照ください。



★ 八雲塗 ★

八雲塗(やくもぬり)については、「八雲塗の硯箱と香合」をご参照ください。



★ 秀衡塗 ★

秀衡塗(ひでひらぬり)に関しては、「秀衡塗の小吸い椀・箸・箸箱」をご参照ください。



★ 大内塗 ★

大内塗(おおうちぬり)に関しては、「大内塗の壺形花器」をご参照ください。



★ 浄法寺塗 ★

浄法寺塗(じょうほうじぬり)に関しては、「浄法寺塗の汁椀」をご参照ください。



 紀州漆器(黒江塗) ★

紀州漆器につきましては、「紀州漆器の花瓶」をご参照ください。



 奈良漆器 ★

奈良漆器については、「奈良漆器の硯箱」をご参照ください。



★ 川連漆器 ★

川連漆器(かわつらしっき)については、「川連漆器の重箱と汁椀」をご参照ください。



 宮崎漆器 ★

宮崎漆器については、「宮崎漆器の彩色堆錦龍紋丸盆」をご参照ください。



 高岡漆器 ★

高岡漆器については、「稲垣三郎作・高岡漆器の彫刻塗花鳥紋丸盆」をご参照ください。



 漆器の装飾法 ■

★ 蒔絵(まきえ) ★

蒔絵(まきえ)とは、漆器の表面に、漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法です。

基本的には、平(ひら)蒔絵、研出(とぎだし)蒔絵、高(たか)蒔絵の3種に分けられますが、これの応用技法も多くあります。

蒔絵の手法は、中国のものにはみられないので、日本で発達した技法だとみられています。



上の棗は私の所蔵品で、中村宗哲作の棗ですが、蒔絵が施されています。(「中村宗哲作・扇面蒔絵・中棗」参照)

蒔絵は、漆地に絵を描きこんでいきますので、地肌から少し盛り上がっていますので、触るとすぐにわかります。陶磁器でいう上絵と同じ原理です。

蒔絵は、奈良時代のものが正倉院にも残されていますが、現在の技法は、平安時代中頃から1000年も掛けて発達していったものと考えられています。

尚、平目地(ひらめじ)や、梨子地(なしじ)のような金銀粉を蒔いただけで、文様のないものも、蒔絵の一種と考えられています。

★ 漆絵(うるしえ) ★

漆絵は、漆地の上に、赤、黄、緑などの色漆を使って、漆器の表面に文様をあらわしたもので、上流階級には、蒔絵のような金銀の派手さがないため、喜ばれなかったようですが、民芸品のレベルでは、素朴でおもしろいものもあったようです。

ベトナム漆器の魅力」で、ご紹介していますが、ベトナムでは、1930年代のフランス植民地時代、油絵に触発された画学生たちが、漆を画材に用いるようになったことで、色漆は大きな発展を遂げています。


     ホーチミンの路上で売られているベトナム漆絵(螺鈿技法も使われている。)

★ 螺鈿(らでん)と平文(ひょうもん) ★

螺鈿というのは、一般に、夜光貝、蝶貝、あわび貝、オウムガイなどの貝殻の真珠色に光る 部分を磨いて薄片にし、種々の形に切って漆器や木地の表面にはめ込み、または貼(は )りつけて装飾する工芸技法です。

螺鈿の技法は、古代エジプト遺跡からも発見されており、日本には、奈良時代に中国(唐)から伝えられ、琥珀や鼈甲と組み合わせて、楽器などに使われました。平安時代に発展し、蒔絵との併用が盛んに行われました。

また、琉球では、ソマタ、又は、杣田(そまた)と称する螺鈿技法があり、中国皇帝や、徳川家への献上品として、非常に精巧な美術品を生み出しています。

螺鈿の技法には、大きく分けて、「埋め込み式」、「押し込み式」、「掘り込み式」の3種類があり、代表的な螺鈿技法の使われているものには、宇治平等院鳳凰堂や、中尊寺金色堂などがあります。

 中尊寺金色堂の螺鈿(白い部分)

(ひょうもん)というのは、金や銀の板金を文様に切り透かして、漆の中へ嵌めこむもので、螺鈿とは、材料が違っているだけで、技法的には同じものです。「平脱(へいだつ)」とも呼ばれます。


 「平文 円舞箱」(蒔絵と組み合わされているが、鳥の部分に、金・銀板を埋め込んである技法が平文。)
                (出典:IPA「教育用画像素材集サイト」)

 彫刻塗(ちょうこくぬり) ★

高岡漆器で、そう名付けていますが、木地に彫刻をした上で、漆を塗っていく技法です。高岡漆器では、花鳥風月を題材にした風景を彫刻して、その上に、色漆を塗って仕上げています。存清と同様に、模様の輪郭を彫り込んで、立体感を出しています。

村上木彫堆朱も、彫刻塗の一種で、模様を木彫りした後、朱漆を塗って、堆朱風にしています。



■ 彫漆(ちょうしつ) ■

彫漆とは、漆を幾層にも塗り重ね、これに文様などを彫刻する技法です。 素地(きじ)(胎)は,一般に木材を用いる場合が多いのですが,金属胎や磁胎、乾漆胎もあります。

堆朱(ついしゅ)、紅華緑葉(こうかりょくよう)、屈輪(具利)彫り(ぐりぼり)、沈金(ちんきん)、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、などの技法があります。

★ 堆朱 ★

堆朱は、朱漆を何回も塗り重ねて積み上がったものを彫ったものですが、「堆」という字は、積み重ねるという意味で、黒漆の場合には、堆黒、といった具合に、堆黄、堆青などがあります。

彫漆は、中国で起こり、宋時代には、立派な彫漆が作られ、元、明、清と発展していきました。日本へは、室町時代頃から、取り入れられています。

 堆朱の香合



★ 紅華緑葉(こうかりょくよう) ★

紅華緑葉(こうかりょくよう)は、計画的に、青漆、赤漆、黄漆、黒漆といった具合に、色漆の層でサンドイッチに作り上げて、彫刻するもので、花を朱、葉を緑で表します。

 明時代 16世紀
        「牡丹尾長鳥文紅花緑葉沈箱」(出展:徳川美術館)

★  屈輪(具利)(ぐり) ★

屈輪(具利)(ぐり)とは、彫漆(ちょうしつ)(漆を彫る技術)の一種であり、朱、黒、黄などの色漆を何層にも塗り重ねて、唐草文蕨手文(わらびでもん)などの文様を彫り下げたものです。塗り重ねる漆の色を、層ごとに変えて、文様を斜めに彫り出すと、幻惑的な色層が現われます。

宋から明の時代につくりだされたもので、日本では室町時代頃より輸入され、茶道具として珍重されていた様子が当時の茶会記から読み取れます。我国では、禅僧寺院を中心にして、建築や工芸の意匠にも用いられました。

 屈輪(具利)彫りの香合

上の屈輪(具利)彫りの香合は、管理人の所蔵品で、小品ですが、薬研彫りされた部分の漆の層の断面がきれいです。(「屈輪(具利)彫りの香合」参照)

★ 沈金 ★

沈金(ちんきん)とは、漆塗りの表面に文様を彫刀で浮彫りし、生漆(きうるし)を摺(す)り込み、乾かないうちに金箔(きんぱく)または金粉を彫り溝の中に綿を使って押し込み、金条線の文様を表したものです。

かつては、中国、タイ、インドで栄えました。日本へは、室町時代に伝えられましたが、その後は、日本で発展しており、特に、輪島を中心に多くの名品が生まれています。

 沈金は、鋭い刀痕の繊細さが美しい。

★  蒟醤(きんま) ★

蒟醤(きんま)とは、漆の塗面に剣(けん)という 特殊な彫刻刀で文様を線彫り、その凹みに色漆を埋めて象嵌し、研ぎ出し、磨き仕上げるもので、タイ国で起こったとされています。

沈金と技法は同じですが、色ごとに、線彫りし、色漆で象嵌を繰り返すことで、金粉を一切使わないのが、沈金と違っています。


      「香川漆器の蒟醤(きんま)香合」 (「香川漆器・蒟醤(キンマ)の香合」参照)

★  存清(ぞんせい) ★

存清(ぞんせい)とは、蝋色漆で上塗して研いだ面に、彩漆で文様を描き、乾いてから輪郭をくくるように線彫りしたものです。こちらも、タイ国で起こったとされていますが、中国漆器によくみられる技法です。

最後に、線彫りをしますので、彫った線の中に何も入っていないものが、存清ということになります。


      香川漆器 「存清菓子盆」(雪斎作) (出展:富山大学地域連携推進機構)

彫漆の技法は、香川漆器で、受け継がれていて、優秀な作家(人間国宝を含む)を輩出しています。

★ 新技法? ★



上のぐい呑みは、ミャンマーのヤンゴンで購入したミャンマー漆器ですが、ちょっと面白い技法になっています。一見すると、蒟醤(きんま)と見分けられませんが、白く見えるのは、彫り込んだままにしていて、漆が充填されず、彫っ放しになっていて、下地の竹材が露出しています。新技法かもしれませんね。(笑)(「ミャンマー漆器のぐい呑みと香合」参照)
                                                (記 : 2013年3月6日)
                                             (追記 : 2013年6月10日)

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